『最近はネット社会になり、
若者のコミニケーション能力が
欠如している…』


なんて話を耳にするけれど

全く以ってそのとおりだと思う。




かく言う私も

こうしてネット上に電子日記、
いわゆるブログを書いているし

ネットショッピングを
したことがないわけでもなく

ラインのパズルゲームをしたりして

ネットの恩恵を授かっているわけだけども


コミニケーション能力に関して
自己評価をつけるならば

『まずまず』だと思っている。



例えば

今入院中なのだけれど
大部屋にはじめて入る日に

同室の方と合うタイミングがあれば

『本日から同室でお世話になります。
○○です。
ご迷惑おかけするかもしれませんが
よろしくお願いします。』

と挨拶するのは当然だと思っているし


前の晩咳き込んでしまったり
ナースコールでナースを度々呼べば


同室の方が迷惑したことは
わかりきっていること。


『昨晩は夜中にご迷惑おかけしました。』

と同室の方や担当して下さったナースに
すれ違うタイミングで『軽く』詫びる。


この時『軽く』が重要!!


病院なのだから
互いが互いに迷惑をかけるのは

当たり前の空間。


仰々しく謝っては
先方も迷惑をかけれない!と
萎縮してしまう可能性があるからだ。


だからといって
迷惑かけたのだから

それとなく軽く詫びる。



大部屋の1つしかないトイレから
私が出たあとに

誰かが待っていたのなら

『お待たせしました。』
と声をかける。



そんな些細な言葉の掛け合いは
当たり前のことだと思っている。


そんなちょっとした一言が
コミニケーションというものではないか。




何もこの程度の事で
私はこんだけのことをするのよ!


勝ち誇るつもりは微塵もない。



ただたった4人の部屋なのに
いつの間にか知らない人が

同部屋にきていて



入口ですれ違ったときに
『おはようございます。』
と挨拶しても

すれ違う度に会釈をしても


(なんなの?この人?)って顔で
ツンとされたり

すれ違ってもまるで
透明人間とすれ違ったような態度は

なんとなくさみしく感じるものだ。



それだけのことで
昨日までいた同じ部屋でも

なんとなく気まずい空間に
変貌するのが不思議。



誰かひとりを指しているのではなくて

全般的にそういう人が増えている。




他人は他人。自分は自分。

触らぬ神に祟り無し的な風潮。



それが悪いとはいわないけれど

それこそ

コミニケーション能力欠如の
わかりやすい例だと思う。





今こうしてベンチに座りブログを
書いていたところ

『テレビカードはどこで買うの?』
とマダムに尋ねられた


『デイルームというところですよ。』
と席をたって行き方を案内をした。


マダムは


『なんだそんな遠くなのー。
面倒臭いわねぇ』

とブツブツいいながら
私の指した方へ向かって

振り返らず歩き出した。



マダムのブツブツこぼした
その不満は私に対してではないが

何故か私に彼女の苛つきが少し伝染した。


コミニケーションが足りないと
そんなことが起こりうる。




『道を尋ねて教えてもらったら
きちんとお礼を伝えること!』


子供が生まれたら
まずそんな初歩的なことから

ひとつひとつ教えてあげよう。


コミニケーション能力のない大人って

なんだか楽しく生きているように
うつらないから。



かわいそうだと思う。