10月も後半となり
すっかり秋が深まってきました。


もみじも色づきはじめて
もうすぐ冬がやってきそうですね。





さて、秋といえば
この俳句を思い出しませんか?




秋深き隣は何をする人ぞ



これは松尾芭蕉の晩年の句です。


この句をはじめて知ったときは



秋になると肌寒くなることで

なんとなく気持ちまで物悲しくなり


お隣さんは何をしてるかなぁ?と
人恋しい気持ちを謳ったのだと

思っていました。






でも大人になって
芭蕉の晩年の句なのだと知ると


床に伏せている姿
孤独で先行きが不安な姿
人恋しいせつない姿

そんな光景が
『隣は何をする人ぞ』
から

目を閉じると浮かんできます。


自分が不幸だと感じているときは

隣の灯りや笑い声がやたらと
寂しさをあおるものです。




アンデルセンの物語で
『マッチ売りの少女』
というお話があります。



クリスマスの晩に
マッチを売り歩くがなかなか売れず

寒さに耐え切れず
ついには売り物のマッチを

1本1本すりながら

幸せな夢を見る

でも最後のマッチに火をつけたところで
命の炎が尽きてしまう。

というお話ですが


そのワンシーンで

明るい笑い声の聞こえる家の
窓から見える

ろうそくの灯り
七面鳥
クリスマスのごちそう





窓の外で寒さに震える少女の
空腹感や孤独感


いかに淋しくひもじいかが
その描写で伝わったものです。


まさしく芭蕉の
『隣は何をする人ぞ』

は、


そんな状況だったのでは
ないでしょうか?


『秋深き』という季語をつけることで
より哀愁が漂い切ない気持ちを

ぶつけてくるんですよね。



晩年の句だということを
知らなかったにもかかわらず

物悲しさが伝わっていたのだから


晩年の句だという事実を知ると
なおさら切なさに拍車がかかります。





秋深き隣は何をする人ぞ
我床に伏し散るを待つらむ





と私の頭の中で
勝手に続きを作ってしまいました。

でも
そんな状況だったのでは?と

思わずに入られない


秋になると必ず思い出す
センチメンタルな一句です。