生きること

それは

女の子の裸を見たいと思うこと

女の子の裸に興奮すること。






先日手にとった詩集の中に
こんな詩がありました。



こちらは谷川俊太郎さんの
『生きる』という詩を読んで

それぞれ思い思いの
自分の『生きる』を綴るというもの。






この詩を読んで、最初は
ふざけてるなぁと思った自分がいました。



でも解説を読んでから
そう思った自分に反省しました。


この詩の作者は
身体に障害を持っていて

五体満足ではなく
ほとんど動かないそうです。



それでも

異性にドキドキし、興奮する。



その事自体が
『自分はまだ元気なんだ』

と勇気づけるというのです。


五体不満足であっても
まだ女性に関心があって

ときめくことが
恥ずかしいと思ったこともあったはず。



その感情さえも生きる励みになるくらい

自由のままならない生活を
していたのだろうと

作者の気持ちを思うと



ふざけてるなぁと思った自分が
恥ずかしくなります。


女の子の裸がみたいとか
興奮するとか

云々言われると
女性としてはフッと嫌悪感が宿りますが


そんな気持ちは
健常者のエゴでしかないのです。



私達の生命は
何か不自由なことがあったとしても

次に命を繋ぐ使命を担ってる。


それが本能なのだから
異性にときめくことができるのは

生きている証しであり
生きる歓びなのかもしれません。


本能としての感覚さえも
生きる糧にする作者の心の強さを知って


読み直すと
胸が熱くなる詩だと思いませんか?