「内面と外見どちらが大切か?」という
質問をしたり、うけたりしたことは誰しもあると思います。
「もちろん内面よ!
心がきれいじゃなければ
美人でも魅力的ではないもの」
この質問には
こう答える人が圧倒的に多いように感じます。
でも果たしてそうでしょうか?
私は
内面>外見とはいいきれないと思います。
とはいえ、
私も内面>外見と信じていた時代もあり
外見より中身を磨くことこそに重きを置き
時間とお金を費やしてきたように思います。
マナー教室に通ったり
語学文学を学んだり
教養や振る舞い、ホスピタリティを学ぶことで
素敵な女性になれると信じてきました。
だからきっと
内面>外見=美人の方程式が成り立つのであれば
今頃「自信に溢れる輝く大人の女性」に
なっているはずでした。
内面を磨くために、精一杯努力してきたのに
最近は鏡を見て深いため息をつく回数も増えてきました。
「子供の頃自分が思い描いていた
きれいなお姉さんになれているだろうか」
自分のため息がはっきりとその答えにNOと
アンサーしているのです。
やはり内面>外見とは言い切れないのです。
なぜなら
どんなに教養やマナーを身につけても
自分で自分を愛せないと
ポジティブには生きられないのだから。
例えば・・・
こんなお腹していなかったのにぃ
もっと艶のある髪してたのにぃ
目元がシワっぽくなってきたような…
そんなこんなのプチストレスが
やがて積み重なって
自分の外見に自信がもてなくなり
洋服を買う楽しみが消え
写真に写るのがいやになり…
インドアで過ごす時間が増える。
こうなってきたら危険信号!!
あれほど磨いたはずの内面が
結局、健やかではなくなっていることに気がつきます。
外見より内面が優先なんだと
内面磨きに励んだ結果
崩れた外見+プラス
健やかではない内面が
形成されてしまうわけです。
どれだけ「人は内面の方が大切よ!」と
正論で捲し立てようが
事実外見もそれに伴わなければ
磨かれた内面の重圧に耐えきれない
外見のアラが目立ちそれこそが
自分で自分の首をしめかねないということ。
何事もやはりバランスが大切で
外見への美の追及の努力
内面への美の追求の努力
どちらが優先でどちらが劣勢かなんて
考えること自体ナンセンスなのかもしれない。
究極の質問で
「知的で優しく、情報力に長けているけど
身なりがだらしなく美人とは消して言えない人と
とっても美人だけど非常識なほど無知で、
他人のことへも感心が全くなしの思いやりのない人
どちらを選ぶか?」
と問われたら
どちらも選ぶべきではない。というのが私の意見。
極端な賢さも、美しさもいらない。
ただ両方を高めようと努力できる人になりたい。
それが私の理想論。
質問をしたり、うけたりしたことは誰しもあると思います。
「もちろん内面よ!
心がきれいじゃなければ
美人でも魅力的ではないもの」
この質問には
こう答える人が圧倒的に多いように感じます。
でも果たしてそうでしょうか?
私は
内面>外見とはいいきれないと思います。
とはいえ、
私も内面>外見と信じていた時代もあり
外見より中身を磨くことこそに重きを置き
時間とお金を費やしてきたように思います。
マナー教室に通ったり
語学文学を学んだり
教養や振る舞い、ホスピタリティを学ぶことで
素敵な女性になれると信じてきました。
だからきっと
内面>外見=美人の方程式が成り立つのであれば
今頃「自信に溢れる輝く大人の女性」に
なっているはずでした。
内面を磨くために、精一杯努力してきたのに
最近は鏡を見て深いため息をつく回数も増えてきました。
「子供の頃自分が思い描いていた
きれいなお姉さんになれているだろうか」
自分のため息がはっきりとその答えにNOと
アンサーしているのです。
やはり内面>外見とは言い切れないのです。
なぜなら
どんなに教養やマナーを身につけても
自分で自分を愛せないと
ポジティブには生きられないのだから。
例えば・・・
こんなお腹していなかったのにぃ

もっと艶のある髪してたのにぃ

目元がシワっぽくなってきたような…

そんなこんなのプチストレスが
やがて積み重なって
自分の外見に自信がもてなくなり
洋服を買う楽しみが消え
写真に写るのがいやになり…
インドアで過ごす時間が増える。
こうなってきたら危険信号!!

あれほど磨いたはずの内面が
結局、健やかではなくなっていることに気がつきます。
外見より内面が優先なんだと
内面磨きに励んだ結果
崩れた外見+プラス
健やかではない内面が
形成されてしまうわけです。
どれだけ「人は内面の方が大切よ!」と
正論で捲し立てようが
事実外見もそれに伴わなければ
磨かれた内面の重圧に耐えきれない
外見のアラが目立ちそれこそが
自分で自分の首をしめかねないということ。
何事もやはりバランスが大切で
外見への美の追及の努力
内面への美の追求の努力
どちらが優先でどちらが劣勢かなんて
考えること自体ナンセンスなのかもしれない。
究極の質問で
「知的で優しく、情報力に長けているけど
身なりがだらしなく美人とは消して言えない人と
とっても美人だけど非常識なほど無知で、
他人のことへも感心が全くなしの思いやりのない人
どちらを選ぶか?」
と問われたら
どちらも選ぶべきではない。というのが私の意見。
極端な賢さも、美しさもいらない。
ただ両方を高めようと努力できる人になりたい。
それが私の理想論。