3月12日の中日新聞の1面には

『生きる あなたの分も』

という見出しが添えられた
写真が掲載されていました。



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翌日、13日の同じく中日新聞の
「編集日誌」の欄は
このような記事が書かれていました。



『昨日の1面の写真は、
津波で亡くした友を思って
花束を海に投げる女性をとらえた
一枚でした。

それを撮影し、昨日午後、
被災地から戻ってきた
写真部員に聞けば、
あの浜辺には

「花束を持ったまま、
ただうずくまっている人の姿もあった」

と。

悲嘆に暮れる様子に
付近にいたどのカメラマンも
声をかけられなかったといいます。

紙面を見返して、気づきました。

花束を放る女性の写真の奥に
砂地にひざまずく小さな人影。

「そうです、この人です」

と写真部員。

もう五年、まだ五年。

被災地の人々が受け止める
それぞれの時間の意味を思います。』



この記事を読むまで
わたしもまったく気づいていなかったので

あらためて12日の紙面を見返してみました。



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その人影は確かにありました。



気持ちに区切りをつけて
必死に前に進もうとしている方



前に進みたくても進めない方



どれもが真実で

人の数だけ真実はあるのだと

そして、見落としてしまいそうな真実に
ちゃんと気づける人でありたいと

そう思いました。