1月末に運良く見れました、寒緋桜

今年は例年より暖かいからか、もう、
ちらほらと桜を見ることも多い気がします。

自分のことを少し書いてみようかな…と思いたってから数日。なかなか難しいものですね💦
筆が(指が)すすみませぬ。

おーっ!…奮起!

私は乳がんサバイバーです。
術後10年を経過して、今、11年目を迎えています(学年でいうともう高2!驚き!)
告知は28歳、抗がん剤治療中に29歳を迎えました。息子が1人います。当時、息子は6歳で、シングルマザーです。


乳がんを見つけたのはふとした瞬間でした。
今でもぶりっとした感触は中指に残っています。
よく、ファントム(乳房のしこりモデル)ではころころとしたコリッとしたような感じですが、
私のはあれよりももう少し(ぶよんっ)とした感じだったように思います。

嫌なことはよく忘れるといいます。
当然、吐いたり口内炎だったりのキツイ、ツライの感覚はもう忘れているのですが、
抗がん剤の匂いや、胸のしこりの感触、
1人泣いた病院の廊下の色、
自分の名前に見えた葬式の看板…

あんなのは、いまだによく覚えています。

10年を経過したので、もう安心だねと言ってくれる方もいます。
私自身、いくらか安堵もしています。自分自身でもたまに忘れてるくらいです。
治療当時、10年先は想像もつかなかったので
10年経過している方を見ては羨んだり、私なんて…と卑屈になったりもしていました。
(ごめんなさい、でも多分、同じ気持ちをお持ちの方はたくさんいるんじゃないかなぁと思っています)

10年経過してわかったのは、
がん治療に明確なゴールはないということ。
体と心についた傷は薄くなることはあっても、なくなることはなかった。
胸の奥のチクっとした痛みはたまにぶり返すし、
(患者としての生きづらさというのかしら?)
治療以外の問題もたくさんあることが分かりました。

現在進行形の患者へのサポートはそこそこあります。病院だったり患者会だったり、緩和ケアだったり。

でも治療が終われば、ポンっとまた世間に戻らなければならないことも事実で、私もその1人でした。今考えると、よくやってきたなぁと思います。10年、11年、なんとなく過ぎたようで、でも思い出してみると、その当時はほんとうに必死だった。必死でしたが、私の10年は自分以外の治療をしている患者さんとのつながりで保てていたようにも思います。

ウィッグを扱う仕事柄、日々たくさんの患者さんと出会います。まさしく今、治療をしている患者さんや治療が終わった患者さん、10年以上お元気にされている方、再発がわかった方、脱毛症の方…乳がんになっていなければ出会わなかった方達との出会いで、たくさんの気づきや学びを得ました。歳上の方に会うことも多いので、親目線のお話や子育ての話もたくさん聞けました。
そうやって自分の世界が広がったおかげで、
自分の存在をやっと見出せたように思います。
(治療前の私の人生観や自己否定感はほんとうにひどいものでした…この話はまた機会があれば)

貪欲ついでに、もっとたくさんの話を聞いてみたい、話を聞ける場所を作ろう!集える場所を作ろう…と考えて立ち上げたのがHug meです。
そして、それぞれの思いを持って支えてくれているのがハグミーのメンバーさん達です。

あるメンバーさんがハグミーのはぐみ会やイベントを手帳に記す時、病院での治療スケージュールしか書いていない手帳に楽しみな予定が1つ書けたことが、すごく嬉しかったと伝えてくれました。この言葉がほんとうに嬉しくて、今もはぐみ会を動かす原動力になっています。

色々と散文になってしまいましたが、
今、これを書きつつ、なんだか卒業文集みたいだなぁと思いました。
10年間なんとなく考えていたこと、思ったこと、楽しかったこと、辛かったこと、少しづつ思い出しながら自分なりに昇華していこうと思います。

こちらのカテゴリは全くもって主観だらけの役にも立たない呟きになることは前もってお伝えしておきます真顔

長文、お読みいただきありがとうございました。