セカオワの「Habit」の歌詞に
君たちったら何でもかんでも
分類区別ジャンル分けしたがる
というのがあるけど、
占いなんてまさにその最たるものだなーと思う。
君らは分類しないとどうにも落ち着かない
つまり それは そんな シンプルじゃない
もっと 曖昧で 繊細で 不明瞭な ナニカ
というのは占いを学んでてすごく思うことで。
この星を持ってるからこう、というのは一概に言えるわけでもなく。
自分自身を占ってもらったとしても、いや、そうじゃないんだけど…全然違うけど…ということもあるし。
ハッキリ断言してる占い師さんって、どうなんだろう…というのは正直あります。
いや、お客さんもハッキリ断言された方が心が定まるというか、頼もしいとか思うのはわかるのですが。
以前も書いたことがあるのですが、
人間はそんなシンプルじゃないし、曖昧で繊細で不明瞭なナニカだと思うので、
だからこそ色んな占術を組み合わせることで複雑性により対応できると思うのですよね。
とは言っても、何種類の占いを組み合わせたところで、分類区別ジャンル分けしてることには変わりはないわけで。
自分で自分を分類するなよ
壊してみせろよそのbad habit
というのは本当にその通りだなーと。
ましてや、他人に分類されることでもないよな、と。
分類することで型にはまってしまうのは本末転倒であるなーと思うわけです。
でも、占いを知って良かったことといえば、自分の中の矛盾を受け入れることができるようになったということでしょうか。
私の場合、射手座のステリウムを持っていることから、自由奔放に飛び回りたい欲望が強くありつつも、
実際には堅実さを捨てられないところがあり、
結局自分は小物で何者にもなれない存在なんだ…なんて自己卑下に走ったりすることもあるけれど、
社会に掲げる看板であるMCは牡牛座であることから、
人から後ろ指をさされるようなことや職業を自分がどうしてもできないのは、そのためなのかなと納得したりもしている。
個人天体がみずがめ座とうお座に集中してることから、トランスサタニアンの天王星や、
特に海王星が個人天体の上をローリングしてる時は、本当にフワフワしてて、地に足が付いてなかったなと思う。
ネイタルの地の星座が山羊の海王星くらいしかないものだから、もともと地に足ついてるタイプではないのだけど、
それでも新卒から同じ場所で働き続けているのは、ひとえに天頂がおうし座だからなのかなと思う。
占い師って、どちらかというと「怪しい」と思われる職業だから、
私はそれを本業とするのは向いていない、というか、きっとできないと思う。
社会的に、誰から見ても、認められる職業じゃないとできないのだ。
うん、小物だ。
でもそれでいい、それが私だ、と、やっと納得できるようになったのは、分類区別ジャンル分けしたがる占いのおかげだ。
人が幸せになるには、自分のことを認め、自分のことを愛することができた時に、幸せになれるのだと思う。
占いを学ぶ前の私はそれができなかった。
自分の矛盾を認めることができず、自分を責めてばかりいた。
でも、占いを知ることで自分の強さも弱さも特徴を見つめることができるようになった。
まだ完全にというわけではないけど、以前よりは前進できていると思う。
だから、分類区別ジャンル分けすることの全てが悪いわけではないとも思う。
自己分析できて初めて、じゃあ次どうするか、を考えられるようになるというか。
占いは、現在地を知る地図みたいなものではないか。
自分のスペックもわからずに、行きたい場所には辿り着けない。
自分の特徴を知った上で、あらゆる可能性を考える、それが正しい占いの使い方なのかな、と、今の私はそう思っています。