いつまで消費してるんだろう。
大人しいと言われる自分に後ろめたくて、
嫌気がさして、そして、次から次へと言葉が出てくる口が達者な人を妬む。
喋れない自分が駄目人間だと思えてくる。
この社会の不適合者だと。
明るさ至上主義の虚構であと何回抗えば楽になる?
いつから大人しいと言われたことを
素直に受け止めれなくなった?
「大人しい」は「大人しい人」への侮辱の言葉だ。
誰が言われて嬉しい?
そうだな、せいぜい小学生まで。
扱いにくい人間だって分かってる。
げんなりする、盛り上がりにかけるってのも自分のことだから自分で十分理解してるつもりで、
そして何度も落ち込んでる。
口の上手さやノリという「物差し」が大きいこの虚構は、少々どころか存分に生き辛い。
別に誰かに分かってもらえなくていい。
引きこもりたくなるし、でもこうして吐き出したくなる。だから、書く。
喋る能力が無いって書く能力が無いより生き辛いと胸を張って言える。
あゝ生まれ持った運の無さよ。
もう少しノリよくて、喋れてたならって。
そしたらどんだけ生きやすくて、どんだけ人脈できてチャンス広がってさ、まぁふつーに楽しい人生なのかなって。
喋りたがりの人と会話した後、無理やり強気になってあいつらは聞く姿勢が全くなってないって保身して、そう思って、また落ち込んで。
コミュ障でも陰キャでも絡みづらくても、まぁそれでも、そんな社会不適合者だって、なんとか頑張って生きてる。
お口が達者なあちら側の人には理解出来ない世界を持っている。
そう思って、少しばかりしっかりと両足で立てる。
多分今後死ぬまでずっと抱えたまま共にしているだろう生まれ持ったものは
絶望か、
それとも希望か。
一縷の望みに託して生き抜く力にして、
今後も消費し続けて行くのだろうね。