好きな祈り
こんにちは、Lalaです。母がクリスチャンでもないのに、教会の雰囲気が好きだったようで、よく連れていってくれていました。そして、この祈りを知りました。時々これを思い出して祈ります。フランチェスコの平和の祈りです。夏休み、というと、いつも思い出すのは、戦争のこと。必ず戦争に関するビデオなどを終戦記念日に見るために、学校などに行かなければなりませんでした。今、とても恐ろしい法案が成立しようとしていますね。いつも巻き込まれるのは、馬鹿なことを考え付く政治家ではなく、罪のない子どもたちや、庶民。子どもたちが、二度と戦争に行かなくてすむように。この世が、どうかどうか、平和であふれるように。FOR PEACELORD, make me an instrument of Your peace.Where there is hatred, let me sow love;where there is injury, pardon;where there is doubt, faith;where there is despair, hope;where there is darkness, light;and where there is sadness, joy.O DIVINE MASTER, grant that I may not so much seek to be consoled as to console;to be understood as to understand;to be loved as to love;for it is in giving that we receive;it is in pardoning that we are pardoned;and it is in dying that we are born to eternal life.Saint Francis of Assisiフランチェスコの平和の祈り主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。アッシジのフランチェスコ