我が家では、
土曜日に夫婦でスーパーに買い出しに行くのがおきまりになっています。
買い物リストを台所に貼っておいて、
随時そこに書き込んでいって、
そのメモを持って買い出しに行くスタイルです。
たいていリストに書き込むのは私で、
お店で商品を選ぶのも私。
だから主人に一人で買い物行ってきてと頼むと
「えー、どれを買えばいいのかわからないよー(´;ω;`)」と渋られます。
面倒くさがってるというよりは、
間違えた物を買ってきてしまったらどうしようと困っている感じです。
渋られるたびに私はイラッとしていました。
そんな大した物じゃないし、数も少ないんだから行ってきてくれればいいのに、
何を買ったらいいのかわからないなんてあんたは子どもか!
って。
昨日は、私が終日外出だったのと、
主人が風邪気味だったのとで、
リストはあるけどすぐ必要な物はないし、
買い出しはナシかなと思っていました。
で、夜に私が帰宅すると、
あらあらなんと、
主人が買い出しを済ませてくれていました。
日頃、私しか使わない物(だからリストにも商品名をテキトーに書いてあった)も、
捜したりお店の人に聞いたりして、
手に入れてくれていました。
その時に思ったのです。
「主人はやればできるコ…
なのに、
できないと決めつけていたのは私 だ」
あからさまに主人をバカにしてたということではないのです。
そうではなくて、自分のほう。
私じゃないとできない。
私がやらないとうまくいかない。
私が自分で全部やらなきゃ。
その感覚がしみついていて、
こんなところにも出てきてました。
私が私の欲する物を完璧に選ばなければならない、って。
たかが日用品の買い物で、
予定していた商品と違うものを買ったところで、
人生にも人格にも大した影響なんかないじゃないですか。
でも許せなかったんですよね、その誤差すら。
主人も本能的にそれを感じていたからこそ、
「妻の要望品を一人で買わない」という行動をとっていたのだと思います。
それが、
今回主人が一人で買い出しに行ってきてくれたということは、
夫婦ともに、
色んなものがゆるんだからだなと思います。
主人をダメなやつだと思っていた、というより、
主人や周りの人達をダメなやつとみなして、せっせと自分でこなしていくことが、自らのアイデンティティを確立する手段と思い込んでいた、というのが正確ですかね。
我が家の可愛い肉球🐾
