25歳になった。
ただ、齢を数えるのに正直言うと興味はない。
誕生日おめでとうってメッセージをくれる人もいる、そういう人たちには感謝する。ありがとう。
でも、誕生日なんてものは既に特別な日でもない、25回も迎えたとかではなくそう思っといたほうがずっと楽だからだ。
どうあっても悲しいことに必ず人の気持ちを無下にする人間は必ず存在する。
正直にいうと今もあの4人に復讐しようと冗談抜きに考えている。さすがに調子に乗り過ぎだ。それ以外もう自分を楽に出来る方法が思いつかない。
去年、イギリスにいるとき、他の日本人の奴の誕生日に誕生日会開いていい子ぶってるけど俺の時はシカト。プレゼントあげてた奴も俺の時はシカト。もういい加減にしろよと、流石に丸わかりだよ、口車に乗せられてあっちの肩持ってること
分かっててそれでもっていうのが、甘さ、本当に甘過ぎて自分のそういうところに反吐がでる、きっと分かってくれるだろうなど何が真実で何が虚偽なのか分かってくれるだろうと、俺から言い出したて説得しようとしたらそれこそ俺が憎む人のコントロール。だからあの女を放っといた。嫌らしい言い方はいけ好かないがあの女とは真逆のことをした。正直にいることだ
それが結局牙を剥いて今の状態。ハッキリ言って最悪。ここまで周りを憎んでるのは今までに無い、だから人に惚れてるときが救いだった。唯一そこから解放されるときだったからね。結局上手くはいかなかったけど、もしを考えたら憎いだなんで思う気持ちも付き合いも捨ててそれから離れて過ごせればと思っていた。
上手くいかないのが人生、ていうか今まで安心して過ごした覚えのある人生なんてないわ笑
小学生の頃から全く安らいで過ごした覚えはない。家庭がぐちゃぐちゃだったのもある、下らない男の嫉妬、女の浅い仲間意識、全て牙を剥く、俺は自分がこの人だって決めた人と過ごしたいだけだよ、それが一番安らぐ時間って分かったから。高校大学は周りが何で人の恋愛事情に首突っ込んであんな掻き回しているのかサッパリ、誰が誰に惚れてるなんて個人の自由、話を聞くことがあってもそれに足を踏み入れるのはいけない、それが今まで仲の良かった友人の側にはつかないということになるなら尚更。友人関係でもそれは一緒。当事者だけで向き合わせて、周りは中立の立場を貫かないと、でなければ臭い言い方はクソほど嫌いだが、1人じゃ治しきれない傷を誰かが負う。
それは犯罪よりもよっぽどタチが悪い。なぜなら法で裁けるものでもない、臭いものに蓋をすればあとは周りが知らん顔しとけばオールオッケー。
だが肩を持つ人間なんていないし良いでしょ、で流す、その考えに犯罪を犯す者となんの違いもない。
何が大事なのか見失って挙句、損得で考え出したら途端に汚い面を見せるのが人間だというのが今までの感想。それを人間関係に当てはめると醜悪とも言うべき面を見る。
憎いのが止められない、悲しいとか泣きたいなんて気持ちを抑えるためとは分かってる、家庭がかつてぐちゃぐちゃだったおかげで臨床心理学はある程度理解してるしそういうことだろうと頭では理解している。ただ、それが本能に近いものになってるから恐ろしいな、何をしてもまるで抑えきれない。
どこかで安らぐ場所に辿り着くと思ってたのが本音、だが今回でもう流石に理解した、それは他力本願の弱音だ。別に今まで手を差し伸べられた覚えも無いが、何をエネルギーにしても歩いていかないとダメだと再確認した。
学校に行きたくないと言ってる奴がいてそいつが尚更頑張っているなら俺は手を差し伸べる、それがお前の話をいつでも聞いていた理由だ、と正直に言っておさらば。目標を無駄にすることこそ日本を出たのが無駄になるからだ。だが、心の奥底でそうすると決めていたことだったからね、姉が学校で虐められて不登校になってそこから家庭がぐちゃぐちゃになったのは二度と経験したくもないこと
どれほど正直に居ようとそれを見過ごす人間なんてごまんと居る、さらに言えば、人を裏切っといて、その罪悪感に押しつぶされて自分は友達に泣きつく、そして慰められてスッキリなんて見るのは考えられない。少なくとも、イギリスにいる間は。話そうとしたらやっぱナシ!とされたからね。
俺の名前は、迷った時の立て札と話したことがあるが、それも下らないなて思い始めてる、それが今まで過ごせた理由なんだがな
韓国人は女に優しくするのが文化、「おもてなし」が我が国の特徴であり国民性、ハッキリ言って下らない。文化だのそれが国民性だので人に優しくするのは強制に近い、そして優しさを無下にされたらどれほど絶望するのか全く分かっていない、だから優しさというものを利用する人間が現れるしより汚い面構えになる。
文化だの国民性だの言うならそれを突き通す覚悟くらい見せなさいよ。
そんなことが人に優しくする理由ではない、俺の名前がそうだから人に優しくしてもいいと思ってんだよ。
親にこの名前を貰ったことは感謝していた、道しるべだったからだ、だがそれも見えなくなってきている。それでも見失ってはいけないと思ってる、その狭間で揺れ動きながら歩くのは本当にしんどい。流石に疲れたよ、俺をその名で呼んでいいのはそれを大切にしてくれる人間だけだ。
今は体を動かすエネルギーが憎以外無い。これからも変わらないだろう何も起こらなければ、
そして誕生日だなんてものもどうでもいい、期待するだけ無駄だからだ、もう特別でも何でもない、ただの日付だ。
それでもこの気分の悪さを思い出させる憎い日がまた来年やってくる。いつかあって嬉しい日とは思いたいが、というよりそれが人間にとって当然だろう、そういう日に出来ると良い。
いつか帰る場所に帰りたいね