主エル・カンターレの愛は、
たった一度の生涯反省(人生反省)
でも実感できます。
存分に。
これでもかというくらいに。
ただ、
自他一体の愛までは
いきません・・・でした。
私は。
で、所謂、
“悟後の修行”を
当然続けるわけです。
一生、
というか永遠に
修行は続きますからね。
つまり、
常に自らの心を見つめ、
自我を発見した時には、
仏(エル・カンターレ)に対して、
反省します。
こうして、
何年も続けていくと、
自我の殻が
剥がれていくんです。
生涯反省でも
最初の自我が
剥がれはしましたが、
限界があります。
なので、
更に続けることで
また別の自我が
剥がれるわけです。
これを繰り返しつつ、
日々の祈りの中で
主との対話を
繰り返していくと、
純粋な自分を
発見するに至ります。
こうして、
私の場合、
時間は掛かりましたが、
他者を愛する気持ちが
静かに溢れてきた感覚
があるんです。
心を見つめる時間が大切だ
という話は
以前にもしましたが、
なんとなく見つめるのではなく、
しっかりと
“心に入る”必要があるのです。
そこを、
表面を撫でるような
レベルで行っても、
それはきっと、
頭で捉えているのと
変わりはないと思います。
ですから、
支部活動はしながらでも、
こういった修行は、
毎日毎日
やり続けなければ
ならないんです。
言い換えるなら、
間違っても、
支部活動をしていれば
大丈夫とか、
精舎研修も受けているから、
受け続ければ、
その内悟るだろうとかは、
考えない方がいいでしょう。
取り敢えず行動していればいい
ということではないんです。
ここを勘違いすると、
救世活動が、
苦しくなるかも知れませんよ。
