無題 八月二十日 夏目漱石
両鬢 衰え来たりて 白きこと幾茎
年華「年齢」 始めて識る 一朝にして傾くを
薫猶臭裡(くんゆうしゅうり)「香草と臭い草」 何者をか求めん
蝴蝶夢中 此の生を寄す
履を下せば空階「人気ない階段」に凄露(せいろ)「つめたき露」散じ
床を移せば廃せい「くずれた石畳」に乱蝉(らんせい)驚く
清風 満地 芭蕉の影
午眠を揺曳して葉葉軽し
衰えたのだろう 白髪が増えた
一晩でこんなに年とることを初めて知る
匂いが好いの悪いのと何故人々はそんなに区別するのだろうか
私はあの「胡蝶の夢」のように夢も現も区別しないで生きることを決める
人気ない階段を降りれば冷たい露に触れれる
場所を変えればくずれた石畳の上で蝉が鳴きしきっている
涼やかな風が天地を満たして芭蕉が影を落としている
昼寝してその芭蕉の葉がさやさや鳴るのを聴くのは夢のようだ