無題  八月十九日   夏目漱石

 

   老去「老来」 帰来 故丘「故園」に臥す

   蕭然(しょうぜん)たる環堵(かんと)「せまい家」 意悠悠

   藻色を透過して魚眠穏かに

   梅花を落とし尽くして鳥語愁う

   空翆(くうすい)「唐詩頻用語」 山は遥かに古寺を蔵し

   平蕪 路遠くして春流を没す

   林塘(りんとう)「森と池」 日日 吾れを教(し)て楽ましむ

   富貴功名曷(な)んぞ敢えて留まらん

 

   老いが来ているが ふるさとを臥所(ふしど)にしている

   侘びしい狭い家に ゆったりと気持ちよく過ごしている

   藻を透かしてみると 魚たちは静かに眠っている

   梅の花が落ち尽くしたので 鳥たちはちょっと悲しそう

   緑の山には 遥かにひっそりと古寺がある

   平野には 滔々と春の雪解け水が流れている

   森と池は 毎日どれだけ楽しませてくれていることか

   富貴功名など どこ吹く風の生き方であることよ