明治維新は絶対王政への道だった 花田清輝「もう一つの修羅」
ー 勝海舟の眼には、徳川幕府はむろんのこと、薩、長、土、肥のような雄藩もまた、
それらが封建国家である以上、ことごとく、滅亡すべきものとしてうつっていた
ことはたしかである。
ー かれの真の意図は、佐幕派と反幕派の両派を巧みに操縦することによってーーいわば、毒をもって毒を
制することによって、かれ自身の手で、封建国家にあざやかな終止符をうつことにあったのではあるまいか
ー 公家的なものと武家的なものとが、天皇親政といったようなかたちで統一され、暴力的な権力が、
非暴力的な権威(天皇)を利用することによって、みずからを強化するといったような事態をひきおこすことを、
なによりおそれていたのではあるまいかという気がしてならない
ー 非暴力的な権威(天皇)は、暴力的な権力と対立しているばあいにのみ、その存在理由がある。
ー 明治維新のさい、もしも天皇が、明治憲法のいわゆる「統治権の総攬者」といったような役割をひきうけることを
あくまで頑強に拒否していたなら、いまもなお、おのれの非暴力的な権威によって、暴力的な権力(明治の新政府)
を、相当の程度牽制することができたかもしれないのだ。
ー ついにかれの苦心は、絶対王政(明治天皇・明治藩閥政府)への道をひらいたにすぎなかった。
勝海舟のとどめの一撃を加えようとした「侯伯」(君主・諸侯・諸大名)は生きのび、かれは藩閥政府(薩長)からは
敬遠されて、氷川で清話を説く、一老人として余生をおくらなければならなかった。
勝海舟が一番恐れていた「明治維新」のかたち
維新でもなく革命でもなく 藩閥政治の延長
天皇の権威を利用して暴力的権力・大日本帝国憲法のもと
山県有朋の拡張主義による戦争に次ぐ戦争
日清日露第一次世界大戦朝鮮琉球台湾満州泥沼日中30年戦争
第二次世界大戦敗戦無条件降伏
日本国民は「天皇」を愛し、、、、「権威」に弱い、、、、
権力者源頼朝徳川家康も「天皇」からの「征夷大将軍」という肩書「権威」を欲しがる
だれもかれも朝廷公家貴族に弱い
日本は「天皇」の国 良くても悪くても日本は「天皇」の国
世界でも日本といえば「天皇」、、、、、