老壮思想 勉強3 莊子「至楽篇」『鼓盆の悲しみ』

 

  莊子の妻が死んだので友達の恵子がお弔いに来た

  見ると、莊子は両足を投げ出して座り

  酒壺を叩きながら歌をうたっていた

  「奥さんが死んで、泣かないのはまだしも

  酒壺を叩いて歌うとは」

  と恵子があきれると 莊子は言った

 

ー 天地が分かれてこの世ができて初めての死

  というのなら私だって感ずるところがある

  元来は 生命もなく 形もなく其の元になる<気>もなかった

  ぼやっとした混沌の中で混じり合っているうちに変化して

  <気>が生じ それが形に そして生命になったもの

 

ー 四季の変化と同じじゃないか

  妻は又元に戻って 天地という巨大な部屋の中で眠っているのさ

  それをワアワア泣き出したら

  天地に通じてないことになりはしないかね

  と

 

 

 

  この話は 「四季の変化と同じように 生も死も

  あらゆるものも グルグル回る」 といういわば循環論的な考えが

  表に出ているが それは莊子「斉物論篇」『胡蝶の夢』の

  「現実と夢も 生と死も区別がない

  だから 現実を受け入れて生きて行こう それが精神の自由への道」

  だ というのと同じである

 

                「中国の故事・ことわざ」 芦田孝昭著

  

 

老荘思想とは こういうものである

<二千数百年前の思想家>の言葉

<この言葉>は歴史を通じて連綿と存在している

「現実と夢も 生と死も 区別がない」!!!じゃじゃじゃじゃあん!?

高尚ではなく 素朴では ふぁふぁふぁああ 、、、、、

難しいけど 惹かれる ところが ある 思想 哲学!