アナキスト金子文子 大逆罪で獄死 23歳
関東大震災の二日後9月3日治安警察法に基づく予防検束の名目で内縁の夫
である朝鮮人朴烈と共に検挙され十分な逮捕理由はなかったが予審中に朴が
大正天皇と皇太子の殺害計画していたのをほのめかし 文子も朴に共感して天皇
否定と爆殺・大日本帝国滅亡を必要だと論じる「天皇は病人ですから、、、、坊っち
ゃんを狙ったのです」『何がわたしをこうさせたか』
結果 大逆罪で起訴 有罪となる
1925年宇都宮刑務所栃木支所で 夏または秋頃から自分が確実に死刑になる
ことを意識しつつ「遺書」として執筆したのが『何が私をこうさせたか』金子文
子著 岩波書店 死後5周年の1931年に出版
その後天皇の慈悲恩赦で無期懲役になるも 文子は面前でその書類を破り捨て
数日後準備していた麻縄で縊死する 23歳
ブログ 伊達聖伸
『何が私をこうさせたか』で最も印象的な場面のひとつは朝鮮で父方の祖母たち
から虐待を受けた13歳の文子が「いっそ死んでしまおう」と芙江を流れる白川
の淵に身を投げようとしたところ アブラゼミが鳴くのを聞いて「世にはまだ
愛すべきものが無数にある」と開眼するくだりである
プレディみかこはこの箇所にふれて『女たちのテロル』で「文子の楽天性は
どん詰まりで返すきびすのような砂が下に落ち切った砂時計がひっくりかえる
時のような起死回生の裏返りを思わせる」と言っている
また鶴見俊輔は『何が私をこうさせたか』の書評で「文子は誇り高い』と言い
勉強会の質問に対して「経済的には貧しい社会の底辺におり行政的には無籍者
として社会の内部で苦しみつつその社会を外部からも眺め得た彼女には逆説的
な高貴さがあるのでは」という趣旨の返事をした
瀬戸内寂聴著『余白の春』が 金子文子朴烈のことを書いている
* 金子文子は『何が私をこうさせたか』で犬が大好きで野良犬に慈悲を抱いていた
野良犬に自分を重ねていた
そして朴烈が「犬ころ」という詩を書いているのを読んで
彼に興味を持ち始め熱烈に愛することになる
彼には王者の風格があると言い切っている
それにしても 大逆罪で有罪になったアナキスト・テロリスト金子文子に対して
「楽天性がある」「誇り高い」「高貴さがある」と高く買うのは、、、、
問題を超えて何かがある!
何がある?