「月雪とのさばりけらしとしの昏」  芭蕉

 

   年の暮れに一年を振り返ってみると、自分は月よ雪よと、世の中の役にも立た

   ぬ風流三昧に、勝手気ままな月日を暮らしてきたことだ、という感慨である。

   「余が風雅は夏炉冬扇のごとし、衆にさかひて用ふるところなし」とは、

   世捨人芭蕉の心の負目でもあった。

 

                   「芭蕉 全発句」 山本健吉

 

 

  ーねこやなぎねんきんせいかつよすてびと   

 

 安売りスーパーのレジの所に「ねこやなぎ」を売っていたので、それを買って

 安易に作った。

 

 

芭蕉の句の解説に「世捨人芭蕉の心の負目でもあった」と言っているが、これは

ちょっと変?

芭蕉は、俳諧師を職業にして生計を立てている有名な大先生で、全国に弟子や富裕層のパトロンを数多く抱えていた、、、、、、、、

 

「予が風雅は夏炉冬扇のごとし、衆にさかひて用ふるところなし」?

 

世の中に役に立たないからこそ、夏炉冬扇という全く合理的でないからこそ、

風狂、風雅というのだし、敢えて、意識的にそういう通俗から斜めの位置に身を置くことに、「生きる意味」を見出してきた、芭蕉なのではないのだろうか?

 

「心の負目」、というのは、分かりづらい。

 

そういえば、芭蕉は西行に憧れていた。

そして「世捨人」度において、西行に劣っている。

芭蕉は西行のように出家したかったのだろうか?

とはいえ、出家した西行も終生煩悩に苦しんでいる。

 

和歌と俳諧の達人と言われている芭蕉と西行の人生は、、、、、、????