『名月や池をめぐりて夜もすがら』 松尾芭蕉
ーー月見なぞというと、今でこそ風流めくが、当時はもっと深く庶民の生活様式の
中に浸透していたろう。月下を逍遥して時刻を忘れるということも、さほど当時
の風流人の特殊な経験ではなかったはずだ。
月光を浴びながらどこまでも歩いていたい一種の忘我に近い状態が「夜もすが
ら」だ。「池をめぐりて、夜もすがら」と倒置された表現が、心の躍動のリズムを
伝えている。
「芭蕉全発句」 山本健吉
私は「月見」をしたことがない
「鯉のぼり」も挙げたことがない
「先祖」や「天皇」の写真も飾ってなかったし
「伊勢神宮」に行ったこともない
満州からの引揚者で 戦後建てた三軒長屋に住んでいたその日暮らしの「貧乏人」には 伝統的日本文化風習の入るこむ余地はなかった
日本に住んでいる日本人でありながら じかに肌に触れない「映画」や「書籍」という間接的情報装置でしか知ることができなかった、、、 という人生、、、が私にはある
その「書籍」 で知ったのが この松尾芭蕉
そして「俳句」「俳句歳時記」には日本の文化日本の風習が満載という事実、、、、