知らなかったジョゼフ・コンラッドについて wikiから
スコット・フィッツジェラルドはコンラッドを文学上の師として、しばしば「ナーシサスの黒人」の序文などを引用し
アーネスト・ヘミングウエイもその敬意を共有していた
ウィリアム・フォークナーは何度も読み返す作家として、ディケンズとコンラッドを挙げている
t・sエリオットは「荒地」の初稿の題辞に「闇の奥」の中のセリフを引用した
グリアム・グリーンはコンラッドの影響を受けることを恐れてコンラッドを読むことを自分に禁じたとされる
処女作発表後、「君は自分のスタイルを持っている。君は自分の文体も持っているし、情熱的な強い気質を持っている。
なぜもう一つ書かないんだね」と励まされ第2作「文化果つるところ」を書いた
フランス語翻訳者への手紙
「批評家たちは私への褒め言葉を浴びせるが『地上ではなく外海にいることだ』というささやきが私の耳に聞こえる。彼らは
私を海の真ん中に追放したいのだ」
1924年には ナイトの称号を打診されたが辞退した
これ以前にも ケンブリッジ大学ダラム大学エジンバラ大学リヴァプール大学イエール大学からの名誉学位を断っている
第二次世界大戦を経て複雑な利害関係の絡む国際政治の実情や、ソビエト連邦の内情について知られるようになったことによって、繰り返す革命によって荒廃した架空の国家を描く「ノストローム」、
2001年の911事件以降には、無政府主義者テロリストの跋扈するロンドンを描く「密偵」、
ロシア人亡命者たちの複雑怪奇な社会を描く「西欧人の眼に」、
などの政治小説が世界について先駆的な認識を示していたと理解されるようになった
墓碑銘
最後の長編小説「the rover 」の扉に載せているエドマンド・スペンサー「妖精の女王』からの言葉が書かれている
sleep after toyle
port after stormie seas
ease after worre
death after life
dath greaty please
____________私の大好きなウィリアム・フオークナーもジャン・リュック・ゴダールもジョゼフ・コンラッドを必要な作家としているのに、私は全く知らなかったとは、、、、、、