自分を”改善”しようとしないこと ”三つ子の魂百まで”

 

  わたし わかいとき ”改善”しようとばかりおもってたの

  だめなじぶんを ”改善”したくて ”改善”したくて

  ほんやにいくと ”改善”のしかた というほん いっぱいうってるでしょ

  ずいぶんかったわ ”改善”のほうほうって いろいろあるのよね

  しゅうきょうでの”改善” しんりがくでの”改善” じこぶんせきとか せいしんぶんせき ね

  とにかく”改善”したくて ひっしだった とまりがけの なんとかりょうほう というのにもいったわ 

  じぶんのかこをふりかえる おやがしてくれたことをふりかえる いちにちじゅう めいそうするの

 

  だめなじぶんを”改善”したかったじぶん

  わかいときっていったけど しょうがっこうのときから ともだちやせんせいにたいするいわかんがあって

  ちゅうがくでも こうこうのときはいえでをしたわ

  ろうにんのときは ぜんぜんべんきょうしないで うちむらかんぞう あべじろう くらたひゃくぞう ありしまたけお

  じぶんのこころのもんだいばかりかんがえていた さんぽもよくしたわ

 

  ”改善”のこころは にじゅうだい さんじゅうだいになってもつづいたけど

  さんじゅうだいのこうはんに ”改善”じゃなく”改悪”?のいきかたがいいことにきづいたの

  ”改善”って じぶんをよくしたいことよね りそうというかんがえが あたまにあるわよね

 

  かんがえかたがかわったきっかけのことばは ”断念” ”断念”ということば

 

  よいこと りそうにむかってじゃなく そのはんたい せいじゃなくふの ぎゃくせつのしそう

  きぼうじゃなく ぜつぼうのしそう ぜつぼうからのしゅっぱつ というかんがえかたがある のをしったのね

 

  ”断念”からのしゅっぱつ ぜつぼうからのしゅっぱつ しんじつからのしゅっぱつ ”しかない” というかんがえかた

  すてる しゃかいのりそうのきじゅんをすてて ありのままのわるいじぶんをうけいれる

 

  よいじぶんに”改善’するかんがえをすてる ありのままのわるいじぶんをうけいれる

  なぜなら ありのままのじぶんが しんじつ で よいじぶんはりそうで かそうで ゆめで まやかしで うそで

 

  げんじつしんじつげんざいのじぶんはわるいじぶん

  ”改善”できるはずがない なぜなら しんじつは”改善”できない

 

  しんじつにぜんあくはない しんじつはどうとくをこえている

  しんじつはふへんしんじつはうんめい

 

  ”三つ子の魂百まで”はしんじつ

  ”三つ子の魂百まで”はうんめい

  ”三つ子の魂百まで”を”改善”しようなどとは おろかすぎる

 

  ”三つ子の魂”は”性” ”性”は”改善”できない

 

 

  わたし ずいぶん まわりみちしたわね

  せいしゅんじだいは あくせくしっぱなしで

  そうねんじだいになって やっと じぶんのすきなせいかつができるようになって

  ろうねんじだいになって ぱっとはながさいたりして????