カラタチと麦畑とひばりと雁とクイナと
カラタチがあり麦畑がありその麦畑をのぼったりおりたりピイチクパーチク囀っていたひばりがいた
その幼年時代からばったりと青年時代壮年時代老年時代と全く途絶えてしまったカラタチと麦畑とひばり
すぐ隣が世田谷の目黒に住んでいた軍の広い練兵場が残っていた馬の骨がいっぱいあったトロッコもありよく遊んだ
空襲のためか顔全体ケロイドになっていたおばさんもいた渋谷に行けば白装束の傷痍軍人さんがアコーデオンを弾いていた
防空壕もあちこちに残っていた納豆売りも紙芝居も来た氷をリヤカーの後ろでザクザク夏は氷冬は炭屋となる人
富山の薬売りも毎年一回やってきた洗濯屋さんも自転車で出前家賃は滞り酒屋さんもツケがたまる三軒長屋での小学時代
東京オリンピックが決まり東京中が工事中になった小学生から中学生へ流行歌は”夜霧の第二国道””有楽町であいましょう”
東横線の祐天寺駅が高架になったのは何時だろう通っていた高校時代はまだだった気がするが蛇崩川は今はさくらの名所とか
あの頃から68年満州で生まれて今はアメリカロサンジェルスに居る
さて話はカラタチと雁とクイナになる
なんとアメリカロサンジェルスに来て30年経ってからあの日本で幼年時代から会えなかったカラタチに会うことになる
鋭い棘のある枝と白い清楚な花のコントラスト!
そしてアメリカに来て雁に会えるなんて誰が想像できるだろう
朝アパートで目が覚めると雁らしい鳴き声が聞こえる毎朝聞こえるあの一種悲し気なくーくーと飛びながら鳴く声を寝床で
友達にその話をすると多分その鳥なら家の近くの公園にいるわよと私は車で30分ぐらいの所にあるその小さな公園を目指し
居た20羽ぐらいのカナダ雁さかんに芝生を食べている近くに行っても逃げない
しばらくすると大きな湖がある公園にもたくさん居るのに出会う
国定忠治赤城山の”赤城の山も今宵限り 生まれ故郷の国定の村や 縄張りを捨て国を捨て 可愛い子分の手前達とも
別れ別れになる首途だ そう云や何だか嫌に寂しい気がしやすぜ(雁の声)ああ 雁が鳴いて南の空へ飛んで往かあ”
のあの雁!日本にいる時も見たことも鳴き声も聞いたこともない芝居だけでしか知らなかったあの雁にアメリカで会うとは
そしてクイナこれは俳句歳時記で松尾芭蕉の句で初めて知った鳥だがこれもロサンジェルスのあの雁が住みついている公園
葦の茂みに棲んでいてなかなか見つけられない鳥それも鳴き声を聞くのも難しい鳥松尾芭蕉がこう詠んでいる
”水鶏(クイナ)鳴くと人のいへばやさや泊り”
歳時記の解説にはこう書いてある 春来て夏去る 葦の茂みを潜り歩いて姿をみせない コツコツと高音に鳴き、古来
「水鶏たたく」といわれるのは緋水鶏である 水鶏笛は水鶏をさそう笛 と
わたしは一度だけそのコツコツいう鳴き声を聞いた あの芭蕉が水鶏の鳴くのを聞ければ今夜の泊りは此処と決めた
貴重な鳴き声を!わたしはそれを聞いた!コツコツ!水鶏叩くというあのコツコツを
葦の茂みからなかなか出てこない水鶏に会うことも大変ならその鳴き声を聞くのはもっと大変 それをわたしはやった!
さようなら