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こんにちは。

スターシード図書館の館長

星子(ほしこ)です。


今日は、寂しさについての話ですが、

最初はちょっと

アダルトな側面からのお話もします。


館長が、考える性的なことや

よいセッ○スについての話です。


スピリチュアル好きの人って、

結構、セッ○ス系の話は苦手だったりします。

まあ、アレとスピリチュアルが合わさると、

かなり危ない場合が多いですから、

そういう話は「嫌いだ!」、「苦手!」

って言う人の方が、

ある意味、スピリチュアル界では

安全な場合もあると館長も思いますよ。

(愛と調和のスピリチュアル界も、

ある意味、危険がいっぱいですからね)

なので、館長としては、

この手の話を持ち出してくるスピリチュアルマスターは、

基本、NGです。
(昔。いたけどね)
キョロキョロ

本当はかなり、この2つは、

関係が深いものなんだけど、

取り扱い注意でもあります。

下手をすると、セ○○ス教団とも

なりかねませんからね。


というわけで、もし、あなたが、

スピリチュアルが大好きな人で、

相手がめっちゃ、リアリストで

スピリチュアル嫌いだったとしても、

安心してください、

あなたと、その人との間で、

いいセッ○スはできます。

別に互いに宇宙意識を持っていなくても、

大丈夫です。
照れ

相手がスピリチュアル好きだろうと、

リアリストだろうと、

大事なのは相手が

現実を正しく認識

しているか、

あるいは、正しく認識しようと

努力

しているか、

それが重要ポイントです。

なぜなら、セッ○スって、意外と

真面目に取り組もうとすると、

シビアな世界じゃないですか。。


エッチで、キャーな甘い世界では、

ありません。笑

(AVはファンタジーです)。


さらに。

私たち愛し合ってるから、

何でも乗り越えられるよね~!

という軽いのりでも難しい感じです。

ロマンチックな雰囲気でなるとかなる

もんでもないのです。



逆に、愛し合ってるかあまりわからなくても、

互いが正しい認識を持っていれば、

いいセ○○ス、ひいては、

愛あるセッ○スになる場合があります。





では、館長の考える

セッ○スにおける正しい認識とは、

なんでしょうか?

それは、相手を

ありのままに見ること。


「なんだ、それ、

スピリチュアルでよく

聞くやつやん、

それに、そもそも、どうせ裸だし、

生まれたままの姿じゃん、笑

そんなの簡単じゃん」

と思うかもしれませんが、


自分に都合のいい解釈を

一切挟まないで、

見るんですよ?


自分の色眼鏡を完全にすっかり、

外さなくてはなりません。

そこには、ふつうも常識も

通用しません。

赤は止まれ、青は進め、

そういう社会のルールや

常識のモノサシには当てはまらないのが、

性というもの。

セッ○スにおいて、こうしたら、ふつう

喜ぶはずなのに、

喜ばない相手はおかしいとか、

そういうことは通用しません。
(陥りがちだけど)。

よいセッ○スをしようとしたら、

ある意味、自分の中に作り上げた

常識を崩壊させなければなりません。

それは、すなわちエゴの崩壊にも

繋がりますので、

エゴは怖がります。

性的に解放されることに関して、

何か恐怖がある場合は、

エゴが何かを強く握りしめているから

かもしれません。

もちろん、過去にトラウマとなる

出来事があったというかたも、

いるかもしれません。

それが命綱となって、

あなたをいい意味で

守ってくれることもあります。

でも、それが、

あなた自身の首を絞めることに

なっているのならば、

それはエゴが巧みに、

偽りの安心安全で、あなたを

騙しているだけかもしれません。



相手が喜んでなかったら、

喜んでない

と正直に認める。

それが、相手をありのままに見る、

ということです。

こうしたら、喜ぶはずと思っても、

相手が喜んでいなかったら、

喜ぶはずというのは、

あなたのただの妄想です。

相手が喜んでいるフリをしてるなら、

それは、単にあなたの妄想に、

相手が付き合ってくれているだけです。


そういう反応を続けていくと 、

いずれ二人の関係自体が、

辛くなっていきます。

だから、逆にあなたが相手の妄想に

付き合っていたとしたら、それは

かなりストレスなはずです。

どこかで、爆発してしまうことでしょう。


セ○○スで、ありのままの相手を

認めることができるようになると、

それ以外の場面でも、相手にたいして、

変な妄想をしなくなります。


LINEの返信がないからって、

相手が本当は別の人を好きなんじゃ

ないか、自分を好きじゃないん

じゃないかとか、

恋とは妄想ですが、

そういう恋の妄想に付き物の、

不安や怖れを抱く人がいます。


しかし、相手をありのままに見ることができるようになると、

たとえ、そうした不安や怖れがあっても、

少しずつはがれ落ちていきます。

相手をありのままに見たら、


別に自分を裏切ることも悲しませる人ではなく、

ただ、連絡がちょっと、遅かっただけ、

とかそういうことが直感的にわかるようになり、

事実、確かめたら、

その通りだったりするのです。



だから、あなたが相手と肉体的にも

結ばれていながら、

相手と離れているとき、

寂しいと感じるのであれば、

それはまだ、よいセ○○スを開発

する余地が残っているということかも

しれません。笑

反対に、寂しくないと感じるのであれば、

あなたは本当のつながりを

手に入れているのだと思います。

「寂しくない」のが本当のつながり

です。

寂しいというのは、

まだまだ、つながり方が足りないぞ

というサインなのかもしれません。




そして、意外なことに、

相手をありのままに見る、

正直なセッ○スを経験したり重ねたり

すると、

相手としばらく離れていても、

大丈夫なことがあります。

結局のところ、レスが

問題なのではなくて、

それまでに、ちゃんと、つながりを

作ってきたのかということが、

あるのです。

それに、性的なことだけが

つながる手段

という、これも妄想にとりつかれて

いるのかもしれません。

家族や友人同士のように、

性的なことはなくてもつながっている

関係は沢山あります。

もちろん、スターシードだったら、

宇宙とのつながり、


スターファミリーとのつながりとか。

つながる方法を性だけに

限定してしまうことが、

苦しみの原因かもしれません。


レスのことで、

その人に性的な魅力がなくなったから、

という考えは、かなり狭く表面的な、

一歩間違うと、それも勝手な妄想

かもしれません。

もしかしたら、そういう考えは、

ランジェリー会社が、

女性に高いランジェリーを売り付けるために、

なんとなく流している噂話(広告)

かもしれません。
(女性の恋心を使えば、モノって

売れますもん)。

これは性的なことの話だけではなく、

他のことも同様ですが、


3次元的なルールの多くは、

人々が互いに慈しみあって、

幸福になるものは、ほんとに少なくて、

クリスマスにイルミネーション見て、

ケーキ食べるみたいに、


どっかの誰かが、

ものを売りたくて、

人々を支配したくて、

あるいは、なんとなくという

結構いい加減なモノサシ


で決めた、


そういうものが沢山あります。


セッ○スレスとかも、

何ヵ月してないならレスだとか、

それって、はっきり言って、

誰が決めてんねん。


さらに、性的経験がないのは

どうだとか、

そういうのも結局、

何を根拠に言っているのか?って、

ことです。

問いただすと、意外と曖昧なもん

なのです。


愛し合っていたのに、

相手が亡くなってしまったのだ、

という人もいることでしょう。

そういう場合、別れから何年も

寂しいと感じる、それは普通のことです。

館長の場合、死別したのは、

母ではありますが、

やはり親しい人を亡くしているから、

気持ちはわかります。

これはグリーフケアに

関する話にもなりますが、

たとえ、相手と死別したのだとしても、

つながりを意識するようになると、

決して寂しくはないのだ

と次第に気づいてきます。

でも、死後6ヶ月たったら、

そうなるというものでもありません。

社会や他人は、死を怖れているので、

いつまでも亡くなった人を思って

寂しがる人を無理やり

元気にしようとします。

そうやって、自分に死について

思い出させる人を

自分の目の前から抹殺して

いこうとします。

でも、それも、その人達の妄想で、

一時的に死への恐怖を

誤魔化しているだけなんですけどね。


なにやら、性的なことから、

話が大きくなりましたが、

周波数が上がるとか、

アセンション(次元上昇)だとか、

5次元の見方だとか、

そういうものが出てきた

今だからこそ、

今までだったら、解放出来なかったもの

を解放できるものも

あるのだと思います。

寂しさ自体は決して悪いもの

ではないけれど、

もし、それが辛いなら、

今は、手放して行くことが

可能な時代です。

館長はスピリチュアルやってるけど、

結構ケチなので、

使えるもんは、何でも使おう

という考え  笑

スピリチュアルや宇宙意識だけではなくて、

性的なことも、過去のトラウマも、

社会の常識(ルール)も、

陰謀論も、

自分が、「楽」(ラク)になるなら、

使えるもんは使う。

情報があふれている現在、

はっきり言って、情弱(情報弱者)

なんて、ほぼいませんよ。

嘘の情報(デマ)がまざっているから、

混乱しているだけ。

さらに言えば、混乱もある種、

ドラマチィックな

ドラマ(幻想)

なので、目を醒まし始めたら、

しだいに混乱にとらわれなくなって

いきます。

あふれる情報や3次元的な社会の枠

に使われるのではなく、

逆にあれこれ使い倒しながら、

これからを楽に過ごして

いきましょう。


今日も読んでくださり、

ありがとうございました。