そしたら、なんと一緒になった方の苗字が、僕と一緒だったんです。
「二人とも○○君じゃん(笑)」
「え~と、じゃあ○○君…あ、どっちもか(笑)」
と、教官は何度も何度も、苗字が同じであるという事象を嬉しそうに噛み締めていました。ハンコが欲しかったので「いやもうそれ味せぇへんぞ!」は我慢しましたが。
余談になりますが、たまにこういう人いますよね。一個のオモシロをバカみたいに擦り倒す人。「何回言うねん!」っていう面白さではなくて、単純に繰り返し使う。
「オモチャを貰った赤ん坊みたいだなぁ」と、いつも思う。もっとこれから面白いことがあるかもしれないのに、過去の確実なオモシロを意地でも手放さないから、先に進まない。やっぱりおじさんに多いかな。「このオモシロは賞味期限長いぞ!」じゃないんすよ、と。
さっきも言いましたが厄介なのは「いや何回言うねん!」ってツッコませる感じ、じゃないところ。そういう感じですらない。もしツッコんじゃったら、「…え、何?」っていうリアクションをするんですよ、きっと。「何回も言う」っていうボケのつもりじゃないから、彼は。初回とずっと同じテンションでオモシロをしがんでる。こっちもそれに合わせないと不自然だからね、毎回新鮮に笑わないといけない。「何回聴いても面白いなー」って顔しないといけない空気。そういう空気!そういう空気を作る!
やっぱりさっきの例えが相応しい気がします。赤ん坊がオモチャを手に入れてはしゃぐのに近い。見た目はおじさんでも、【ユーモア3歳児】って感じ。同じことで何回も何回も笑う。で、ユーモア年齢を重ねるごとに色々なオモチャが有るのだと分かってくる。皮肉とか、卑屈の面白さとか、色々な種類の面白さ。で、大人になってキン消しとかビックリマンシール集めるみたいに、子供の頃のオモチャをあえて手に入れる感じこそが、いわゆる「いや何回言うねん!」とツッコまれるボケ、みたいな。一周して、っていう。「一周して、子供の頃みたいに何回も言いますよ」という。ただ、おじさんたちは全然一周してない。全然、ただの一周目。現役でキン消し。
余談になりませんでした。熱くなっちゃった。
本来言いたかったのは、「知り合いの中で苗字が同じ人なんてたくさんいるけど、『こいつら苗字同じだな~』と全く思ったことがない」ということ。全然、ユーモア年齢とか関係ない。
この感じ、多分共感してもらえると思うんですが…。例えば、僕には「佐藤くん」という知り合いがたくさんいます。5、6人かな?中学、高校、大学、それぞれ別々の環境に。
ただ、あの佐藤とこの佐藤、同じ苗字なのに、同じ苗字だと思わない。思えない。中学の同級生の「佐藤くん」の事を考えるとき、高校の同級生の「佐藤くん」の事を考えるとき、どちらも確実に同じ字ズラ・同じ音で思い浮かべてはいるはずなのに、「同じ苗字である」と思わない。「言われてみればどちらも佐藤か」という感じ。同じ佐藤なのに、違う佐藤、というか。
もちろん会話のコミュニティーによって、ある程度佐藤は限定される。高校の友人と話してて、「え、今言った佐藤って俺の中学の同級生の佐藤?」とはならない。そりゃそうだ。
あ、でもそういうことか。「佐藤が2人以上いる環境がない」というだけかもしれない。中学の佐藤の話をする時に、そもそも高校の佐藤の話題にならない。
僕が人を苗字でフォルダ分けしてないから、ということかな。小学校とか大学とか「共に過ごした環境」で、大きく知り合いの範囲を区切る。みんなそうだろうけど。だから「佐藤」と「佐藤」とをそもそも比較しないんだ。全く別々のグループに所属してるから、苗字が同じでも、全く違う人なんだ。例えば同じ部活の同級生10人とかの狭い範囲で同じ苗字がいない限りは、「同じ佐藤だなぁ~」なんて思わないんだ。な~んだ。なんだなんだ。そうか。
な~んだ。なんだ。なんだこれは。脱線と自己解決。改めて見返すと、どちらも共感してもらえそうにない…。