パードゥンと言わないで | 梯子ダルマ オフィシャろうブログ

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ラジオネーム:梯子ダルマとして深夜ラジオにメールを送っていた、現在放送作家として働く26歳の男が書くブログです。

思ったことを書いて、賛同・誹謗中傷などの反応がきて、コメントがきっかけで会話をしたり、そんな交流が嬉しいです。

「え?」



と、人からよく言われます。

「え?おかしくない?」
「え?何その服?ダサいよ?」
「え?居たの?」

一旦、相手に疑問を持たせてしまう。
一旦、相手を混乱させてしまいます。

ただ一番多い「え?」はコレ。



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英語では「Pardon」の、「え?今なんて言ったの?」の「え?」です。「もう一度お願いできますか?」の意。




「え?」と言われるのは何故だ。
声が小さいからです。

自分が思っているより、自分は声が出てなくて、相手に伝わらない。

「自信のなさの表れだ」とか「近距離マンツーマンレベルの会話環境に慣れ過ぎた」とか、声が小さい理由はいくつか挙げられるとは思いますが、今回書きたい別のことです。


「え?」と聞き返された側に求められる【言い直し】の恥ずかしさについて。


例として、僕が

「今日なんか天気良いよね?雨の予報だったのに!もう!傘要らなかったじゃん!」

とか言うとするじゃないですか。友人にね。大丈夫です。僕にも友人います。

そしたら、友人は僕にこう返すんです。



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聞き返し。僕の声が小さかった、もしくは滑舌が悪かった。


〔余談ですが、滑舌の悪い人が「俺、カズゼヅが悪いからさ!」と言った時に「いや、『滑舌が悪い』が、滑舌悪過ぎて言えてないじゃん!」っていうツッコミ、入れがちですよね。ありふれた。でも、ツッコんだ本人は「上手いこと揚げ足を取ってやったぜ!」って思う。僕もよくやります。とってもとっても、ありふれてますよね。余談でした。〕


で、僕は聞き返されちゃった訳ですよ。「え?」と。聞き返されたからには、同じ内容をもう一度伝えなくてはいけない。言い直しです。


僕はこの言い直しが嫌いです。
理由は2つあります。



1つ目。「文章の再現」には問題ないが、同時に「テンションの再現」も行わなくてはならないという点です。


「今日なんか天気良いよね?雨の予報だったのに!もう!傘要らなかったじゃん!」


今回の例だと「もう!傘要らなかったじゃん!」の部分。僕は天気予報に怒っている、つまりこのセリフには“感情が乗っかっている”んです。コント的に、感情を乗せている。この感情の部分を全く同じようにコピーアンドペーストするのは、かなりの気恥ずかしさです。


「今日なんか天気良いよね?雨の予報だったのに!もう!傘要らなかったじゃん!」

「え?なに?」

「いや、だからさ。今日なんか天気良いよね。雨の予報だったのに!もう!傘要らなかったじゃん!」


恥ずかしいですよね。
同じセリフを2回言うことについては目をつぶりましょう。そこは恥ずかしくても我慢。ただ「もう!」を2回言うのはさすがに…。自分で自分を見ていられない。「テンションの再現」は、精神的に至難の技です。まぁ、テンション再現はしなければいいじゃねぇか、という話ではありますが。そのテンション部分が大事だったりすることもあるんですよ。言葉によっては。



2つ目。コレが僕にとっては最もツラい。ズバリ、聞き返した相手は、聞き返したものの、決して全てを聞き取れなかったわけではないという点です。

つまりですね。「え?」とは言ったものの、ほとんどの場合、セリフの一部(特に後半部分)については聞き取れていることが多いんですよね。今回の例で言えば、気付いたら僕が「…○¥%☆〒いらなかったじゃん!」と叫んでるわけです。もちろん「え?」と聞き返しますが、「いらなかったじゃん!」は聞こえている。「え?(彼は何かが要らなかったのか。何が要らなかったの?)」ということですね。この時点で相手は、手探りで言葉を探す状態から【答え合わせ】をする姿勢になります。「何だ?」ではなく、「さっきのアレは、何だ?」です。


で、僕が言い直しますよね。恥ずかしいから、テンションは再現せずに言います。文章も少し変えて。


「いや、あのさ。なんかすげー今日晴れてるじゃん。天気予報だと雨だったからさ。なんだよ傘要らねぇじゃん、って思って。」


すると相手は合点がいき、僕にこう返します。


「あー、なんだ!さっき『傘が要らなかった』って言ってたのか!」


コレ。コレが嫌なんです。僕は。

「さっき」という表現のせいで、“繰り返し同じことを言った”という僕の気恥ずかしい現状を浮き彫りにされるし、何より「それが正解かー!なるほどね!」感に腹が立ちます。「さっき、そこだけ分からなかったのよー!『傘が要らない』かー!確かにね!はいはい!」みたいな。自分のセリフを材料にして、強制的に虫食い問題を作成される屈辱感(?)。なんだか説明しづらいですが、腹が立ちますし、惨めな気持ちになります。「そうそう、さっきそう言ったんですよ」とヘラヘラ笑う自分が、なんだか可哀想で。分かってもらえるでしょうか。


ここまで書いてて気付くのは、なるほど僕は「聞き流される」という現象そのものに、かなり大きな敗北感を与えられるんだなぁ、ということ。プライドが高く、なによりしっかり話を聴いてほしいからだ。聞くじゃなくて「聴く」ね。ただ、僕は声が小さい。大きな欠点です。



その点、文章というのは素晴らしい!Twitterや、メールや、こういうブログなんかは特にありがたい。文字に音量はありませんから。僕に興味がある人にとっても、ない人にとっても、記号として同じ存在感を放ちます。もちろん「文章」には良し悪しがありますよ?「文字」という単位では、全ての人にとって平等です。それをしっかりと「言葉」に、「声」にしてくれるのが、ラジオ。


ラジオにメールを送るのは、シャイな人が多いイメージ。あくまでもイメージ。そんな人たちのメールも、良い声のパーソナリティーが代読してくれる。充分な音量、立派な声量で、全国に届きます。




「ラジオっていうのは声が小さい人の為にある」



この言葉、随分と長い間頭に残っています。

調べてみると2014年10月7日火曜日、J-WAVEの『THE HANGOUT』内で川田十夢さんがおっしゃっていた言葉でした。


大事なことを言う時、声が小さくなってしまう人がいる。
大切なことは、すごく些細なことだったりする。

そんな人の為にラジオはあるのだ、と。


僕はこの放送を聴いていませんでした。なのに、ずっと頭に残ってる。おそらくリスナーのツイートによって、この言葉だけがTwitterの僕のタイムラインに流れてきたのでしょう。なんでチラッと見かけただけのこの言葉を、ずっと覚えているのか。きっと嬉しかったからですね。「ラジオは、僕のためにあるんだ」と、恥ずかしながら思ったのです。本当、恥ずかしながら。ただ本当に「味方がいて良かった」と、思います。


今回は以上で終わります。
兎にも角にも、この記事に大量の「え?」というコメントが寄せられないことを祈るばかりです。


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