今日も一日元気で過ごせたことを感謝いたします。

 

 

うちのチビ太郎が生まれて、毎日、神社にお参りするようになりました。

もともとはチビ太郎の健康を願って始めた日課なのですが、

今ではそれだけでない、想いが、何かが生まれてきています。

 

家族の健康をお祈りする際に、もう一つお祈りするのですが、

それが冒頭の

「今日も一日元気で過ごせたことを感謝いたします」

です。

 

最近、これをかみしめるようになりました。

 

 

 

働ける人は幸せです。

 

毎日、食事を取れる人は幸せです。

 

毎日寝る場所がある人は幸せです。

 

喜怒哀楽を経験出来て、一生をまっとうできた人は幸せです。

 

 

 

人の人生は、物理学のそれと同じく、「慣性の法則」でもって、構築されているのだと思います。

 

 

止まっている物体に、力を入れないと止まったままです。

 

動いている物体に、力を入れないと動いたままです。

 

 

人の人生も何かを全うしなくてはなりません。

大学の研究もそうです。

 

何かを始めるとき、相当のエネルギーが必要です。

一旦動き出した物事は、場合によっては、時流に乗って、スムーズに動きます。

これは始めた当人の意識を超えて、加速することもあります。

 

始めたことを終えるときも、相当のエネルギーが必要です。

人生を全うするということは、この慣性の法則を超えて、

人智を尽くして、やり遂げないといけませんね。

 

 

米朝会談の報道がひっきりなしになされる中、

世の中においてけぼりにされている、悲しいことは無数にあります。

 

 

そんなことを、書き連ねていられる私は

やはり幸せなんでしょう。

 

幸せを追求して、幸せになろうとするのはナンセンスです。

幸せは何かの結果でしかない。

プロセスが結実するとき、

それが時には幸せだったり、悲しみだったり、喜びだった、怒りだったりするわけです。

 

 

神社でお祈りをしながら、

そのような感覚を最近感じています。