・・・土の中から、赤ちゃんの声が。
そんな一報がニュースで流れていました。
へその緒がついた状態らしく、出産後すぐに誰かが埋めたと。
報道はそう述べていました。
背景やその他は敢えて考えずに、ただその赤ちゃん自身に想いを寄せました。
ぎりぎりですよね。
自分の人生を定規で引いたときに、80cmの定規で表すと
この赤ちゃんの人生は1mmにも満たない。
その1㎜目の目盛りに線を引いてしまい、人生とするのか。
そこから定規に沿って80cmまで走るのか。
この赤ちゃんは泣くことで、まだ先を走れる。
以前ブログで書いたことがありましたが、
1mmと80cm、両者が同じ人生だと表するとき、心が震えます。
長さも単位も違う。
60分と1時間。
同じものを指していても、違うものを指していると、私は感じます。
でも同じ人生ですよね。
でも、
地球や宇宙の人生(歴史)から考えるとどっちも同じようなもんだ。
そういわれると、そうかと言いたくもなる。
こんなことを若いころから考えていました。
答えはなかなか出ませんが、
「人はただ生きて、死んでいくだけ」
という言葉を雑誌で見かけたときに、
なんとなく、そうだよなぁと妙に納得したり。
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
ジコ坊という怪しげな僧が
「人間はいつか死ぬ、遅いか早いだけだ」
というセリフを発していました。
三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地決起した後、割腹・自害したのは有名ですよね。
私はリアルタイムではないのですが、当時の朝日グラフに彼の割腹自殺の現場、
首だけになった氏の写真が掲載されたのを見たことがあります。
衝撃というより、私はなんだか妙に納得してしまった感があったのを覚えています。
あの「金閣寺」を執筆した三島由紀夫とこれら写真。
当時、なんとなく、納得してしまったんですよね。
何が納得かわかりませんが。
でも、今見ると、違っているんだろうという予感もあります。
冒頭のニュースの話の戻りましょう。
昔、若い時に、人生の不条理を感じたときに
人生を引き延ばした輪ゴムに例えたらどうだろう
と考えたことがありました。
なんとなく人生って、一個一個前に積み重ねるイメージがありますよね。
ゴムに例えるなら、前に引っ張っていく。
進めば進むほど、テンションがかかるので、苦しい。
それをはじめから、人生が引っ張られているとかんがえたんです。
定規でいうと右が人生の始まり、左が人生の先。
その上に自身の歩みをゴムに例える。
ゴムは左から軸に右側の生まれたての自身に引っかかっている。
生まれたとたんに、先の人生の左側に引っ張られる。
最初は、すなわち人生の始まりの数㎜から数cmは、ゴムのテンションは強い。
人生が進むにつれて、そのテンションが緩くなっていく。
80cm付近の人生はそのゴムは外れてゆるくなります。
ではその時、人生の原動力はどうなるのか、とかね。
そんな、ばかばかしいことを考えていました。
今回の赤ちゃんの事件のような話を聞くときに、
このゴムのたとえを思い出すんですよ。
今では考えられないですが、あの頃は不眠で、気が付いたら朝日が、
というのが毎日でした。
そんなことだから、よくわからない思考回路のまま、大学の研究室に向かう、っていうのが毎日でした。
でも不思議に実験に立ち会うと、心が落ち着いていたんですよね。
学生時代に、研究という面白さに出会えたのは本当に良かった。
実験に没頭していて、気づいたら朝だったというのは、
以前紹介した、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだ時の感覚と似ていますね。
さて、大学の教員になった今はどうか。
全く、同じな訳はないですよね。
ただうれしいことに、同じ感覚も残っているんです。
1割のやりたいことのために、その他の9割を頑張れるか。
宮崎に来て"研究室としての黎明期"と設定していた5年は既に過ぎました。
これから5年は、9割頑張り、1割に繋がれるように頑張りたいですね