河内音頭は盆踊り好きには、一般的に民踊とは別に考えられていますが、民謡であるのは変わりありません。
どこのHPでも、河内音頭の発祥や起源は載っているので割愛します。
河内音頭の故郷
河内という通り大阪の南東部を河内地方と言います。さらに細分化し、枚方、門真方面を北河内、東大阪、八尾方面を中河内、藤井寺、羽曳野方面を南河内と言います。現在の河内音頭は、主に江戸時代後期から、中河内、南河内で流行った豆かちが源流です。
地域によってまったく違う河内音頭
河内音頭は、基本的に生音頭で、その時代の風潮やお笑い、おらが村自慢などを歌われています。その村単位で土着の音頭取りがいて、村単位で音頭が成り立っていたため、当然、踊りも音頭の節回し、太鼓や三味線などのサイドも唄の文句も微妙に違っていました。
それが、戦後になり、河内音頭に浪曲や流行歌を混ぜた鉄砲光三郎、初音家太三郎、三音家浅丸などが台頭し、それまであまり地区を跨いで交流がなかった踊り子も音頭取りを追いかけて、遠征をし始めました。
地域の踊りと融合した河内音頭
北河内は、滋賀や京都方面からきた念仏踊りや伊勢音頭、江州音頭と合体
中河内は、常光寺で有名な流し踊りや中川踊り、地蔵盆唄などと合体
南河内は、かんけりやブギウギ、ボックスなどの激しい踊りと融合した豆かちが若者の間で人気となりました。
音頭取りが自流をアピールし、流派が枝分かれしていく中、踊り子もなんとか自分の派閥、グループを大きく、目立ちたいとアピールし、なかなかカオスにな光景になってきている北河内や中河内と対照的に、今でも、松原、河内長野、富田林、羽曳野(堺市だけど美原含む)などの南河内は、独自の踊りを残している地域があります。※藤井寺は別の意味で独自な踊りになっちゃったね。
中でも松原市は一部地域で1重目と2重目の輪の人が向かいあい、フォークダンスのように交代しながら踊る踊りは、櫓の上から見るとほっこりしますが、何か地域から邪魔をしてはいけない、外部にその動画を流してはいけないような伝統を感じ私は好きです。
私、今から救急搬送をしてくるので、豆かちの踊りの意味はまた今度にします。
(ピング)