玄関外で花の手入れをしていたら

ふと

ジョフレのいつもの息遣いがして

いつも私を見ている方に目をやってみた

ジョフレはもちろんのこと

晧月もいなかった

直近で私を見に来た写真を撮ったのは意外にも雪深い季節に撮ったのが最後だった

そんな息遣いが3回くらい断続的に聞こえたようなきがする

風で何かと何かが擦れる音だったのか

私の単なる空耳だったのか

はたまた50日祭が終わるまでは

我が家にジョフレ君はいてくれているのか。。。

定かではないが

なんとなくその息遣いの音が聞こえた時には笑みがでた

 

食後の晧月君

朝は特にジョフレとずっとくっついていたから、晧月君も元気がない。なんか寝ているばかり。
物を噛むにしてもいつもお外に噛む者を持って行ってずっと外にいたのに、今は家の中にほとんどいる。
お里から急に北軽井沢に来て環境が変わり、半年もしないうちに大好きになってくれたジョフレが突然いなくなり、こういう環境の激変が、子犬の身に短期間に2度も起こって、晧月君は大丈夫なんだろうか。。。。

 

朝食後のルキウス君

今朝は、気持ちはピレネー犬、プチピレの本領発揮で、番犬しているルキウス君。


今朝は、ちょっとS先生がくれた手術開始からの最期までの経過がかかれた紙を見る勇気と言うか元気が出たので、読むというよりも眺めてみました。
開腹したときは、お腹の中は血の色のゼリー状の大きな塊があったそうで、先生はそれが大きな腫瘍だと一瞬思ったそうですが、それはすぐに大きな血の塊だと分かって驚いたそうです。
約8Lの出血もあったそうです。
胃も、空気が充満してパンパンだったそうで、処置を施したけれどあまり改善は見られなかったとか。翌日は、午後から立てなくなり、色々な機能が低下して血液検査の結果もかなり悪くなってしまっていた。肝臓も、腎臓も 甲状腺も何もかも。それでもジョフレ君頑張ったようですが、翌朝、苦しがることなく静かに眠るようにいったことはジョフレの唯一の幸いだったと、助けられなかったことを残念に思うという趣旨のことが記載されていました。

今回のジョフレの状況、19日の朝から私がより近隣の獣医でと思いあちこち連れまわしてしまったこと、結局対応できる獣医が近隣にはいなくて、東京まで連れて行くしかなくて、それがまた体に大きく負担をかけてしまったんだと思う。
近隣では病状の把握さえできないところもあり、把握できた先生は手術ができないとのことで、東京まで行くことを推薦した。東京まで行って体に負担をかけるしか選択肢がなく、結果を見ると、北軽井沢でそのままあきらめたらそのまま死を待つことになって、苦しみながらの最期だっただろうし、まだ死因の確定はされていないけれど、東京までの負担が術後の悪化につながっての死だったのかもしれないと考えると、どちらにしても駄目だったのかなぁと。
S先生にお願いする前に、脾臓破裂だけを考えると、100歩譲って前もって見つけるのが難しかったのかもしれないが、食事の量の様子がおかしいと話しても年だからと触診もしなかったし、脚の不具合や脊髄狭窄症も放置のような形だった。
思うに、患者の体を障らない、年だからと言って最初からあきらめてしまう病院では、他で治せる病気も治らない。そんな病院に通い続けた飼い主の私の責任 罪は大きいという事だと思う。
ただ、ピレを診るのが大変とか、わからないとか大きすぎるから面倒だと思ったら、口頭とメモでも検査項目を書いて渡して頼んだにもかかわらず、鬼の形相で、検査を頼まれてないと言い張り、飼い主を何度も威嚇して、何も駐車場まで威嚇しに来たりしないで、他に行ってくれますかの一言で良かったと思う。S先生の所はS先生を含めて4人の優秀でしかも思いやりのある獣医師が揃っているので、そう言う所でなければあれだけの犬への対応は大変だという事は、わからないでもないから。こちらとしては、どの程度のピレの病状まではその先生が診られるのかはわからないので、自ら、自分が診られるのはここまで、他へ行ってくださいと言えばそれでよかったと思う。

我が家に来た時から飄々としていて、重症になってもまだポワンと可愛い表情をしていたジョフレ君。
私に看病介護もさせず、何も恩返しもさせてくれなかったと、ジョフレ君に物申すよりも、

苦しむ期間がとても短ったことをよかったと考えようと思う。

ね、ジョフレ