こんにちは。

 

4月もおわって5月。本当に早いです。

 

父が脳梗塞で倒れて1ヶ月たちました。

 

幸い助かり、薬の投与により

血管が詰まった所に血が流れ始めた10日後、

同じ箇所から今度は出血。

 

2度目は脳出血で倒れるという、1度目より酷い状態になってしまいました。

 

血が流れる薬を投与する事により

血栓が一気に脳に流れ、出血の原因になったか

血管が弱くなったのか。。。

 

脳出血のすぐ前に不整脈があったのですが、それが兆候だったのかも知れません。

心臓からの血栓と言う説明もあり、心臓の検査もしていました。

父の血液は年のわりにはとても綺麗だという事でしたが

綺麗でもこういう事は起こるんですね。

 

脳出血は父にとって大変でしたが

それがまだ入院中だったので、すぐ発見出来た事が

何よりの救いです。

でもそれによって、話す事が困難になり

立てなくなりました。

 

私の帰国は10日間だけでしたが

担当医に納得がいくまで説明を聞く事が出来たし

転院するリハビリ施設を決められたし
父の細かいリクエストをなるべく叶えてあげ、

色々役に立てたと思います。

 

 

そして私がアメリカに戻ろうと決めたのは

父が車椅子に支えられながら乗れるようになり

歩行器につかまり歩けるようになった姿を見て。

 

高齢でも人間の回復力ってすごいと感動しました。

 

 

そして父は今、脳外科のある総合病院から

リハビリ施設が充実している病院へ転院しています。

 

 

ここでリハビリをしているそうで

順調に回復しています。

昨日は一人で数歩歩けたそうです。

 

 

数ヶ月ここで入院になります。予定は90日くらいなんだとか。

写真は4人の大部屋。

 

個室もありますが1泊11000円~20000円するそうです。

この大部屋は保険がきいて無料なんだとか。

 

私が次に帰国できるのはいつになるかわかりません。

お金もかかるし夫や娘の予定もあるし。

色々な方からコメントも頂きましたが、

本当に海外に住むという事はこういう事なんですね。

 

 

私はこのブログで今の状態だけを書いていますので

読まれている方は、私達を「いい家族」と思われるでしょう。

 

私の家族は

父と母は仲が悪くて何回も崩壊しています。

父の暴力、今でいうDVやモラハラは日常でした。

母の目が開かなくなる程大きな青あざができていた事もありますし

殴り飛ばされてる姿も見てきました。

数ヶ月会話がなかったりはしょっちゅう。

目を合わさない、無視など普通。

 

姉が「実家に戻ると喧嘩しているかどうかわかる」といつも辛そうでした。

 

小学生の頃は、食卓に父が投げた運動靴が飛んできてお皿が飛んだ事もありますし

ちゃぶ台がひっくり返るとか。

まあ、よくある(?)昭和の家庭です。

 

なので私は、他人から怒鳴られても暴力を受けても平気です。

小さい頃から父で慣れていたし、父以上に怖いものなどなかったから。

いじめとか仲間はずれとか、悪口とか言われても気にしない性格は

家で地獄絵図みたいなものを見てきたので、私にとって同年代のそういう事は「小さな事」であり「あほか」な事でした。

 

 

それより、なんで親は離婚しないんだろうと不思議でした。

小学生の頃から、離婚してくれたらいいのにと思っていました。

 

でも、離婚しなくて良かったのかと

今回親を見て初めて思った。

 

夫婦のこと、家族のこと、

当人同士しかわかりません。

 

父は今回「お母さんには本当に感謝している、よくしてもらってる」と言っていました。

母は「お父さんが元のように治ってくれるなら、お金はいくらでも出す」と言っていました。ウチは金持ちでも何でもありません。

 

父のいう事はわかりますが

母が言った事は「え。」と思ったんです。

 

実は私は

母はこんな風になってしまった父の事を

「介護しなければいけないのか」とか「もう自由に何処にもいけないのか」と

ネガティブに考えているか

もしかしてこの先一人生活になる事を、心のどこかで期待しているかもと

一瞬思ったりもしました。

 

自由になりたい、一人になりたいと思っているのかもと。

 

でもそうではなかった。

母は父が必要なんです。大切な人なんですね。

 

 

 

 

これは姉が連れて行ってくれた明石焼き。 

左の出汁につけて食べます。

美味しかったなー。日本では毎日病院でコンビニ弁当だったので。

400円です!Tipなし!日本って安いです。

 

母にお持ち帰りしたら

父が食べてみたいっていうので2個内緒で食べました。

 

「お父さん、そんなの食べていいの?」

「2個くらいかまへん。うまいなーうまいなー」と

うまく持てないお箸をもって、小さな子供の様に食べていました。

 

その後血糖値が急騰し

お腹にインシュリン打たれてガーン

 

「何か違うもの食べられましたか?」という看護婦さんに

父「いいや?食べてへんよ口笛

母 無言で首をかしげる。。。。キョロキョロ

 

こんなんでいいのか!滝汗

 

 

今回父が倒れた事は、私達家族にとって悪い事ばかりではなくて

皆が一つになって楽しんでいるというか

病室ではよく笑っていました。

 

ちなみに両親は仲悪かったですし父はそんなでしたが、

私達子供は父も母も同じように大切ですし、

どっちの味方とかそういうのは全くなかったです。

 

ただ、蓋をして見ないふりをしていた。

かかわりたくなかった。

でも今回、閉めていた蓋をとった気がします。

 

今回は父が良くなりましたという報告をちらっと書くだけのつもりでしたが

また例のごとくダラダラ書いてしまった。長いし。チーン

 

消そうかなと読み直しましたが、こういう家庭も同世代の人は多いだろうなと思って

UPします。

オチも最後のまとめもなく。

 

 

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