昨日、朝6時に姉からメールが入っていました。
私がそれに気がついたのは朝`11時。
「お父さんが今朝倒れて脳梗塞でXX病院に入院した。
この一週間が良くなるか悪くなるかの山場らしい」
まるで本を読むように遠くに感じた。
日本は夜中の3時。
電話がないということはきっとそのままなんだろう。
そのとき夫は娘を学校まで送ってくれていた。
電話した。私は泣いていた。
夫は落ち着けと繰り返し
日本へ行く事をすぐに考えてくれて
あちこちチケットが取れるか連絡してくれたらしい。
これは後で知った。
日本が朝になり母に電話してみる。
繋がらないので姉に電話。
1時間話し母に電話。さらに1時間。
聞くと
朝、父はいつものように4時頃起き
いつものように歩きに出かけ
いつものようにご飯を食べ、ゆっくり新聞を見ていたそうだ。
朝7時。
母は洗濯をしていて、
洗剤を取りにリビングへ行くと父の声に気がつきトイレに行った。
父はその時洗面所でうずくまり、立てない様子で吐きそうだと。
そのまま20分くらい・・・・。背中をさすって介抱していたらしい。
そして動けない父を見て母は救急車を呼び病院へ行った。
財布も持たずサンダル履きで。携帯だけがポケットに入っていたそう。
そして病院で血液検査。異常なし。
どこも異常なし。でも立てない。ロレツもまわらない。
もしかしてと、
やっとMRIの検査をした。その時午後2時。2時だ。
父が倒れてたのを見つけてから7時間がたっていた。
異常を見つけて、やっとそこで脳梗塞の診断。
病院を移動。夕方5時。10時間がたっていた。
母は異常がないと言われたので姉にも弟にも
その時まで大丈夫そうだからとしか話していなかった。
脳梗塞ときき姉夫婦もやっと夕方病院へ。
バタバタとその日がおわり、夜中家に戻って姉が私にメールをしてくれたという事らしい。
母は電話でどんなに大変だったかストーリーを細かく話し
姉は病院で変わり果てた父を見てどんなにショックだったかを話す。2週間前に花見に連れて行った話や1ヶ月前に焼肉に連れて行った話、あれが最後だったのかとか...。
とにかく今のところ命は大丈夫。様子を見てという事だった。
今日また病院に行ってくるからと。
1日何回も何回も涙が出てきてた。
いつもなら、一通り泣くとすっきりするものだけど
いつまでもすっきりなんてしなくて
涙が止まらないってこういう事を言うんだと
思った。
日本へ帰ろうと
娘のこの先の予定を紙に書いた。
毎日のスケジュールをカードに書いて
持ち物や時間をまとめてメモをした。
娘は今月予定がはげしく入っており忙しい。
そして姉から日本の昼頃メールが入る。
「昨日と違ってとても良いみたい。今朝パンも食べたらしい。
だいぶ話せるし午後から歩く練習もするみたい。安心して」
「まだ病院?」「うん」
そして私はすぐ姉に電話した。
「お父さんと話せる?」
「おおう、心配かけたな」
父の声だった。
私は号泣した。低い声でうめくように泣いた。
父は「泣きよるぞ」と周りに言っていた。
そしてしっかりした声でこう言った。
「みんな来てくれて、圭も来てくれて(私の弟)、お前から電話もあって。
お父さんは幸せや。しあわせや。」
私は声になっていない言葉で何か話していた。
覚えてないけど、心配して1日ずっと泣いていた事や
気をつけてとか大事にしてとかそういう事を言った。たぶん。
半分は通じていないと思う。鼻水と嗚咽が混じっていたので。
父は少し聞き取りにくい声だったけれど、うんうん。大事にする。もう大丈夫や。と
言っていた。
姉にかわって
姉は「あなたが泣くから私も泣けてきた」と涙声。
電話での声は静まり返った病室全体に聞こえていたらしい。
多分みんな泣くのを我慢していたんだろう。私の家族はそういう家族で
私だけいつも感情をすぐ爆発させる子供だった。
二度と会えなくなると思ったとき。
その日はいつか必ず来る。
誰もがそれを思いながら生きている。
私は父も母も健在だ。
だからその日をまだ知らない。
その日を初めて感じてしまった。
祖父や祖母に会えなくなってしまった時以上にそれは
大きく怖いものであり
家族を強く感じたことだった。
家族には家族しかわからない繋がりがある。
普段は一緒にいなくても
普段全く頭になくても
全員そろって会うことがなくなっても
こういう時に一つになるんだなと思った。
洋画ばかり見る父の影響を受け外国に興味を持った。父の一番は「ローマの休日」だ。私が一番初めに行った外国はイタリアだった。
ルイアームストロングを一人部屋で聞いてる父を見て洋楽に興味を持った。
中学の時、これからは証券会社かなという一言を覚えていて
私は証券会社に入社しバブルを体験した。
父の影響を全部受けてきた。
以前ここでも書いたけど、アメリカで頑張れたのは父に見て欲しいと思ったから。
夫は言った。「お父さんはきっと90才まで全然元気だよ」
今回、夫が娘の面倒は全部見るからすぐ帰れと言ってくれた。
もう一つ、頼りになる家族がここにあると感じた。
私がそれに気がついたのは朝`11時。
「お父さんが今朝倒れて脳梗塞でXX病院に入院した。
この一週間が良くなるか悪くなるかの山場らしい」
まるで本を読むように遠くに感じた。
日本は夜中の3時。
電話がないということはきっとそのままなんだろう。
そのとき夫は娘を学校まで送ってくれていた。
電話した。私は泣いていた。
夫は落ち着けと繰り返し
日本へ行く事をすぐに考えてくれて
あちこちチケットが取れるか連絡してくれたらしい。
これは後で知った。
日本が朝になり母に電話してみる。
繋がらないので姉に電話。
1時間話し母に電話。さらに1時間。
聞くと
朝、父はいつものように4時頃起き
いつものように歩きに出かけ
いつものようにご飯を食べ、ゆっくり新聞を見ていたそうだ。
朝7時。
母は洗濯をしていて、
洗剤を取りにリビングへ行くと父の声に気がつきトイレに行った。
父はその時洗面所でうずくまり、立てない様子で吐きそうだと。
そのまま20分くらい・・・・。背中をさすって介抱していたらしい。
そして動けない父を見て母は救急車を呼び病院へ行った。
財布も持たずサンダル履きで。携帯だけがポケットに入っていたそう。
そして病院で血液検査。異常なし。
どこも異常なし。でも立てない。ロレツもまわらない。
もしかしてと、
やっとMRIの検査をした。その時午後2時。2時だ。
父が倒れてたのを見つけてから7時間がたっていた。
異常を見つけて、やっとそこで脳梗塞の診断。
病院を移動。夕方5時。10時間がたっていた。
母は異常がないと言われたので姉にも弟にも
その時まで大丈夫そうだからとしか話していなかった。
脳梗塞ときき姉夫婦もやっと夕方病院へ。
バタバタとその日がおわり、夜中家に戻って姉が私にメールをしてくれたという事らしい。
母は電話でどんなに大変だったかストーリーを細かく話し
姉は病院で変わり果てた父を見てどんなにショックだったかを話す。2週間前に花見に連れて行った話や1ヶ月前に焼肉に連れて行った話、あれが最後だったのかとか...。
とにかく今のところ命は大丈夫。様子を見てという事だった。
今日また病院に行ってくるからと。
1日何回も何回も涙が出てきてた。
いつもなら、一通り泣くとすっきりするものだけど
いつまでもすっきりなんてしなくて
涙が止まらないってこういう事を言うんだと
思った。
日本へ帰ろうと
娘のこの先の予定を紙に書いた。
毎日のスケジュールをカードに書いて
持ち物や時間をまとめてメモをした。
娘は今月予定がはげしく入っており忙しい。
そして姉から日本の昼頃メールが入る。
「昨日と違ってとても良いみたい。今朝パンも食べたらしい。
だいぶ話せるし午後から歩く練習もするみたい。安心して」
「まだ病院?」「うん」
そして私はすぐ姉に電話した。
「お父さんと話せる?」
「おおう、心配かけたな」
父の声だった。
私は号泣した。低い声でうめくように泣いた。
父は「泣きよるぞ」と周りに言っていた。
そしてしっかりした声でこう言った。
「みんな来てくれて、圭も来てくれて(私の弟)、お前から電話もあって。
お父さんは幸せや。しあわせや。」
私は声になっていない言葉で何か話していた。
覚えてないけど、心配して1日ずっと泣いていた事や
気をつけてとか大事にしてとかそういう事を言った。たぶん。
半分は通じていないと思う。鼻水と嗚咽が混じっていたので。
父は少し聞き取りにくい声だったけれど、うんうん。大事にする。もう大丈夫や。と
言っていた。
姉にかわって
姉は「あなたが泣くから私も泣けてきた」と涙声。
電話での声は静まり返った病室全体に聞こえていたらしい。
多分みんな泣くのを我慢していたんだろう。私の家族はそういう家族で
私だけいつも感情をすぐ爆発させる子供だった。
二度と会えなくなると思ったとき。
その日はいつか必ず来る。
誰もがそれを思いながら生きている。
私は父も母も健在だ。
だからその日をまだ知らない。
その日を初めて感じてしまった。
祖父や祖母に会えなくなってしまった時以上にそれは
大きく怖いものであり
家族を強く感じたことだった。
家族には家族しかわからない繋がりがある。
普段は一緒にいなくても
普段全く頭になくても
全員そろって会うことがなくなっても
こういう時に一つになるんだなと思った。
洋画ばかり見る父の影響を受け外国に興味を持った。父の一番は「ローマの休日」だ。私が一番初めに行った外国はイタリアだった。
ルイアームストロングを一人部屋で聞いてる父を見て洋楽に興味を持った。
中学の時、これからは証券会社かなという一言を覚えていて
私は証券会社に入社しバブルを体験した。
父の影響を全部受けてきた。
以前ここでも書いたけど、アメリカで頑張れたのは父に見て欲しいと思ったから。
夫は言った。「お父さんはきっと90才まで全然元気だよ」
今回、夫が娘の面倒は全部見るからすぐ帰れと言ってくれた。
もう一つ、頼りになる家族がここにあると感じた。