
あっさりでした
こんにちは。
両親に1年で帰るからと宣言し
心の中では3年くらいで帰ろうと思い
住み始めたアメリカ生活。
ちょうど丸36年が終わり37年目になりました。
アメリカ生活37年目。
まさかこんなに長くここにいるとは当時の私は想像すらしていませんでした。
クリスマスが来るとあの時を思い出します。
そしてもう一度あの時に戻っても
同じことをしたと思います。
アメリカに来ると言うこと。
アメリカに住んで「もう日本に帰りたい」と思ったことは一度もないです。
それは仕事が楽しかったし
次は子育ての時間も楽しかったし
それが終わると自分が楽しむ時間、旅するとか
要するに歯車が回り出して止まらなくなってしまったからだと思います。
それまでは、歯車が回るまでは「このままでは帰れない、帰ってたまるか」と思っていた。
ここまで居たのはアメリカ生活が回り始めて止まらなかっただけ。
よく一番楽しかったことは何ですかと聞かれます。
それについて物凄く考えるのですがわからないです。
一番楽しかったこと=一番大切なものは
私にとって娘なので
娘と出会えたことかなと答えます。
でも楽しかったことは辛いことも含めて全部なのかもしれない。
辛いことを含めて奇跡的に私はここに居れてるだけだと思います。
うん。
昨年他界してしまった父が
亡くなる直前に優しい口調で私にこう言いました。
「アメリカにずっとおれよ。おったらええ」
私がいつか日本に戻ってくると待っていたのだと初めて知りました。
そうですよね。私は1年で帰るからと言って出たきりだったから。
35年間待っていたんだと思いました。
父自身、私はもう帰ってこないとわかっていたけど
それを認めたくなかったのだと思います。
私からもそういう話をしなかったから。「いつまでいる」と言わなかった。
親も「いつまでいるの」と聞かなかった。聞けなかったのかも。
父が逝ってしまったのはその会話の数日後でした。
それを生きているうちに伝えようと思って話してくれたんだと思いました。私の代わりに。
私が「もう日本に帰らないと思う」と言えないから。
「おまえは何も話さんけど人一倍苦労があったと思う。海外で生活するのは並大抵のことではないから」
そんな事も父の口から出ていました。
私はここでの生活が苦労していると思ったことは全くなかったのだけど
まあ辛いことはあったなと思ったので黙っていました。
心がちぎれそうな辛いこともね。
37年目も頑張っていこうと思います。
でもまさか自分が60になってもアメリカにいるとは思ってなかったな。
本日も読んでくださりありがとうございます!




