昨日、中尾圭介さんという方のインスタのリールを見ていて、
夫婦になったら2人が一つになるから、どちらかが陽として表舞台で活躍して、陰がそれを支える。
太陽と月が同じ時間帯に輝かないように、夫婦がどちらもおもてで輝けることはない。
と発信されていた。
なるほど、
だから私は
自分で働いて稼ぎたいし、誰かに面倒見てほしいとも望まない。
他人が稼いだお金は他人のものだし、
たとえ自分にいい稼ぎがあったとしても、相手を養いたいと思わない。私をサポートしなくていいから、相手も自立していてほしい
と思っていて、他人と一緒に暮らすということに違和感がむきだしなのか。
やっぱり私は結婚には向かない人だったのか、と
残念の方に傾きのある納得を経験した。
“やっぱり”と記した理由は、他人とチームになって支え合って生活していくのは嫌だ、といったような思いが、実は出産を経験した後からちらつき始めていた。
「結婚して、家庭を持って子宝に恵まれ、家族を持つのが幸せ。女は料理上手で家庭的であること。」
という価値観で育った私は、一生懸命にその本音を押さえつけた。
でも本当は学生の頃から私の中には、2人が1つになって陰と陽で分かれるよりも、自分の中の陰と陽のバランスを保つことの方が、私自身の幸せである、という価値観が存在していたのだと思う。
それは毎回彼氏ができた後の違和感から、今、
こう説明できるだけなんだけれども..。
当時は陰と陽さえ知らなかったし、先の価値観で洗脳状態だったから、彼氏ができた後のかすかな違和感は、私をかわいいとか好きとか言ってくれる存在に舞い上がってかき消されてしまっていたんだろうな、と今は思う。
歳を重ねた独身女性を
”それはいやでしょ”
と受け入れられなかったことも、自身の価値観を肯定できなかったからなんだとも、今思う。
更には結婚さえすれば、母や兄から解放されるとも思って、当時は確かに感じていた違和感を振り切る様に、結婚してしまった。
インナーチャイルド、という言葉を知ったのは、ここ2-3年の事で、だけど絶望している5歳か6歳くらいの私がフラッシュバックしたのは、2018年に、ライフコーチングを受けている時だった。
一つ下のいとこに全力で仲間外れにされて、母に助けを求めていた時だった。彼女は私にこう返事した。
「あなたはうちの家族で1番下に生まれたから、意地悪されてもしょうがない立場なの。お兄ちゃんだって威張りたくて意地悪でしょ?男の子って、威張りたいのよ」
私が嫌な思いをして悲しむのは、1番下に生まれたから仕方のないこと、という価値観が、その瞬間絶望と共に私の奥底に潜り込んでいった。
不思議なもので、その後出会う男性や上司は、威圧的で暴力的か、母親の愛情不足で育った依存症の人が多かった。
私の母は、彼女の母にいじめられて育った。
姑問題の腹いせの標的にされてしまった。
いじめられて育った母は、兄を暴力で育てた。
私は何度も、目がなくなるくらい腫れ上がった顔の兄を見て、泣いた。
怖いのと、悲しいのと、なんだかわからない感情だった。
兄は姉と私に対する暴力暴言、嫌がらせが絶えなかった。彼が高校生になった頃には、視界に入ってウザいという理由で殴られ、床に叩きつけられた。
そんな私が大人になり、母親になったあと、夫の暴言、モラハラが始まり、その怒りは子供に向けられた。
それが嫌で嫌で、救われたくて、生きる希望をみつけたくてライフコーチングを受けたのだけど、私はとうとう鬱になり、離婚を決めた。
自分と向き合う時間ができて自己受容ができてきたと実感した矢先、あの時の後悔が噴水の如く湧き上がってくる。
それは息子が2歳の頃、庭に出た彼が、手をぶつけたのかどこかに挟んだのか、痛い痛い、と言って泣いて戻ってきた時のこと。当時私は2人目を出産したばかりで、子供の泣き声がもう受け付けられない状態だった。
痛い痛い、と悲しむ彼を睨みつけただけだった。
2歳の子が、その痛みと悲しみを1人で処理しなければならなかった状況は、どれだけの深い傷になっただろう。どれだけ悲しくて、心細かっただろう。
私がちゃんと抱きしめて、痛いね、痛いね、ってさすってあげてたら、彼の心の中に安心の島ができたはずなのに。
あれから6年、7年経って、今どんなに抱きしめても、抱きしめても、抱きしめても抱きしめても、あの時の後悔は払拭できなくて痛い。
この後悔の傷は、私が生涯引き受けるから、どうか彼の中の傷は無くなりますように、って思い出すたび涙が溢れる。
いじめは連鎖するし、インナーチャイルドは子供に反映される。
被害者だった自分が同じ様な方法で加害者になったとき、人は言いようもないほどに傷つくのだそう。
陰と陽のくだりで自分の本来の価値観に気づいても、今どんなに自己受容を進めても、
過去の償いができなくて痛い。
海外に逃げても、結婚しても、子供を産んで家庭を持っても、幸せになるどころか自分自身や愛する我が子を傷つけただけだった。
自分を心底愛して受け入れてる人が、増えます様に。
そして子供を授かるすべての人が、そうでありますように。
私は戒めとして、ここにこう記す。