最近の私の頑張り
最近、体調不良も
少し落ち着き
少しずつお料理も
洗い物もできるように
なってきました
今日のお昼は
巨大お好み焼き
いか&豚玉と
いか納豆豚玉
ふわふわカリッでなかなか
茄子と椎茸を
オリーブオイルで焼いて
トマトと玉ねぎの
サルサ風ソースで食べました
ゆうがおの煮物
初めて作りました
なかなかうまい
調子に乗って
あんかけバージョンも
後日作りました
かず旦那には不評
大量に余ってます
久しぶりに肉じゃがね
かず旦那の好きなおかず
豚ちゃんのアスパラ巻きは初
焼き揚げだから
少しだけヘルシーかなぁ
トマトちゃんは
我が家のベランダ菜園から
これが甘くてなかなかうまいのよー
そーそーあの
初めての梅干し
なんだけどね
完成しました
ょ
だけど…皮がコワイの
固いってゆーか
カリカリではなく
皮が強情っ張りなの(笑)
多分梅のたちが悪いって話
味はいーのよ。。
たが煮物とかまぜご飯だわねー
また来年チャレンジしよ
梅干しのあかじそちゃん
ゆかりに変身
毎日頂いていますゎ
これが一番うまくいったかも
少しだけやる気も出て
前向きにもなってきたょ
まだ完全ではないから
ゆっくりゆっくり治します
ちょっと誉められたくて(笑)
日記にしてみたけど
考えてみたら普通なんだわね
主婦なら皆やってるんだった(笑)
ま、とにかく頑張ってます


少し真面目に考えてみた
靖国神社参拝を、未だ問題にしている事がおかしいと思う
お盆だから、終戦記念日だからって靖国神社参拝を問題にするのはどうなのかなぁ…
閣僚参拝ってそんなにいけない事なのかなぁ?!
靖国参拝したいなら
いつでも行ったらいいよ
よーく行ってて、今日も行きますってのならどうなのかなぁ
きっと年に何回もおまつりあるでしょ
戦争で戦って亡くなった方々は
きっと苦しかったり、悲しかったりした分
天国で楽しく暮らしていると思いたい
輪廻で生まれ変わっている人もいるかも
私の師匠のひとりは
真珠湾攻撃に行った人です
もう亡くなりましたが
新潟ではわりと有名だった人で
生き証人として、新聞やテレビで語っていました
子供の頃は恐い存在で
酔っ払って話してくれる
戦争の時の話しが嫌でした
だってリアルだったから…
自分の指が飛んで行った話しが怖かった
職業軍人だった人で
奥さん(この人も私の師匠)曰く
「とちゃまのお仕事は人殺しだったからね…」
えっ
と耳を疑いたくなる発言
でも紛れも無い事実
パイロットだから爆弾落とすとか、飛行機から撃つんだよね
そんな
そんな事していたから
そんな事しなきゃ駄目な時代だったから
そんな青春時代を生きたから
とちゃまはお坊さんになったのかなぁ?
聞いておけばよかった
戦友だった人のお宅に、命日は必ずお経あげに行っていた
護国神社の奉り事は全て出席し
戦友達の御霊を祈っていた
護国神社の神輿で会う時
私が担いでいる事嬉しそうだった
それを知った時、顔みた時、胸がつまりそうだった
とちゃまの戦争は終わってないんだ
死ぬまで終わらないんだ
晩年は優しい優しい旦那様でした
奥さんとチャーミーグリーンな感じでね(笑)
晩年は戦争の話し聞かなかったなぁ
私も大人になっていたから、恐いだけの戦争じゃなく聞けたろうに…
聞かなかった
聞けばよかった
とちゃまも護国神社や靖国神社に居ますか?
お友達に会ってお酒酌み交わしていますか?
戦死じゃないから、奉られていないけど
靖国神社には沢山お友達いるの?
会いに行くの?
それとも天国にみんなで暮らしてるの?
そんなの誰も分からないし
靖国参拝問題なんて
最前線で戦ってないまわりが勝手に言ってる
マスコミが、他国が、戦争知らない世代が
勝手に言ってるだけのように感じます
奉られている方々の声は聞けないから
奉ってるって言ってるのは生きている人だけで
亡くなった方々は千の風になっているかも
でも、もし、私が彼等の母だったり娘、妻なら
心のよりどころ欲しいに決まってる
お骨や遺品もない方々もいるはず
自分達のお墓参りより
靖国神社なら…
会いに行く、会える気がする
まだ御存命の御遺族、御友人はただそんな気持ちなんじゃないだろうか?
こんなに平和な世の中に生まれた私は
察する、感じる、考える
そんな事しかできないけど
一年に一度でも
この時期だけでも
真面目に戦争の悲惨さ、愚かさを噛み締めたい
そう、とちゃまの亡くなった時
火葬場の最後の最後に
戦友の方々が国旗を棺にかけ
当時の歌をうたいました
送り出す歌なのか、同期の桜的歌なのか
私にはわかりません
だけど日本人で新潟人で縁があったのでニュアンスはわかります
心がふるえました
悲しかったのもあるけど
涙がとまらなかった
でも、あの時とちゃまの戦争が終わったと思った
あー、この人達、この人達の友人達に
私達は生かされたとも感じたんだ
やっぱり戦争はしちゃいけない
二度と愛する人に
人殺しさせちゃいけない
そんな究極な世界を作っちゃいけないんだ
愛だな
愛
と、思うのでした
お盆だから、終戦記念日だからって靖国神社参拝を問題にするのはどうなのかなぁ…
閣僚参拝ってそんなにいけない事なのかなぁ?!
靖国参拝したいなら
いつでも行ったらいいよ
よーく行ってて、今日も行きますってのならどうなのかなぁ
きっと年に何回もおまつりあるでしょ
戦争で戦って亡くなった方々は
きっと苦しかったり、悲しかったりした分
天国で楽しく暮らしていると思いたい
輪廻で生まれ変わっている人もいるかも
私の師匠のひとりは
真珠湾攻撃に行った人です
もう亡くなりましたが
新潟ではわりと有名だった人で
生き証人として、新聞やテレビで語っていました
子供の頃は恐い存在で
酔っ払って話してくれる
戦争の時の話しが嫌でした
だってリアルだったから…
自分の指が飛んで行った話しが怖かった
職業軍人だった人で
奥さん(この人も私の師匠)曰く
「とちゃまのお仕事は人殺しだったからね…」
えっ
と耳を疑いたくなる発言でも紛れも無い事実
パイロットだから爆弾落とすとか、飛行機から撃つんだよね
そんな
そんな事していたから
そんな事しなきゃ駄目な時代だったから
そんな青春時代を生きたから
とちゃまはお坊さんになったのかなぁ?
聞いておけばよかった
戦友だった人のお宅に、命日は必ずお経あげに行っていた
護国神社の奉り事は全て出席し
戦友達の御霊を祈っていた
護国神社の神輿で会う時
私が担いでいる事嬉しそうだった
それを知った時、顔みた時、胸がつまりそうだった
とちゃまの戦争は終わってないんだ
死ぬまで終わらないんだ
晩年は優しい優しい旦那様でした
奥さんとチャーミーグリーンな感じでね(笑)
晩年は戦争の話し聞かなかったなぁ
私も大人になっていたから、恐いだけの戦争じゃなく聞けたろうに…
聞かなかった
聞けばよかった
とちゃまも護国神社や靖国神社に居ますか?
お友達に会ってお酒酌み交わしていますか?
戦死じゃないから、奉られていないけど
靖国神社には沢山お友達いるの?
会いに行くの?
それとも天国にみんなで暮らしてるの?
そんなの誰も分からないし
靖国参拝問題なんて
最前線で戦ってないまわりが勝手に言ってる
マスコミが、他国が、戦争知らない世代が
勝手に言ってるだけのように感じます
奉られている方々の声は聞けないから
奉ってるって言ってるのは生きている人だけで
亡くなった方々は千の風になっているかも
でも、もし、私が彼等の母だったり娘、妻なら
心のよりどころ欲しいに決まってる
お骨や遺品もない方々もいるはず
自分達のお墓参りより
靖国神社なら…
会いに行く、会える気がする
まだ御存命の御遺族、御友人はただそんな気持ちなんじゃないだろうか?
こんなに平和な世の中に生まれた私は
察する、感じる、考える
そんな事しかできないけど
一年に一度でも
この時期だけでも
真面目に戦争の悲惨さ、愚かさを噛み締めたい
そう、とちゃまの亡くなった時
火葬場の最後の最後に
戦友の方々が国旗を棺にかけ
当時の歌をうたいました
送り出す歌なのか、同期の桜的歌なのか
私にはわかりません
だけど日本人で新潟人で縁があったのでニュアンスはわかります
心がふるえました
悲しかったのもあるけど
涙がとまらなかった
でも、あの時とちゃまの戦争が終わったと思った
あー、この人達、この人達の友人達に
私達は生かされたとも感じたんだ
やっぱり戦争はしちゃいけない
二度と愛する人に
人殺しさせちゃいけない
そんな究極な世界を作っちゃいけないんだ
愛だな
愛
と、思うのでした
新潟まつりの花火といえば2
やすらぎ堤が出来て
花火は見やすくなり
観客も多くなりましたね
私も成長して(笑)
ひとりで場所取りできるようになり
毎年恒例になりました(されました渹)
親戚だけでなく母のやっていたお店
「雪ん洞」のお客様達も一緒に見るようになりました
賑やかだったなぁ
19歳の時に神輿を担ぐようになり
それからも毎年、神輿終わりでダッシュ
15時のやすらぎ堤解放に合わせて
必死になって頑張ってましたねぇ淲
我が家がやすらぎ堤直ぐにある
リバーサイドのマンション(笑)なので
トイレには困らなかったね
お客様達もみんなトイレは我が家(笑)
それから母も店を止め
私達のマンションの真ん前で花火があがらなくなって
家族みんな、なんだか新潟まつりに冷めてしまった
うちのベランダからチラ見するくらいにね
アキレス腱切った時に家族で見に行ったのが家族単位は最後
三年前に母と母友達、私と私の友達これが本当最後
やすらぎ堤に行かなくなったわ
そんなこの頃だったけど
我が家も様変わりし
弟が和合町辺りに新築中
母も同居することになってるし
もうマンションで集まる事もないかなぁ…
マミーは「りょーこ
これが最後だわぁ
」って
そーだね
マンションはまだ売らないけど、
みんなの生活が変わり
住む場所が新潟島ではなくなる
淋しいけどねー仕方ないんだよねー
私も中心街じゃない場所に家建ててるしねぇー
最後に旦那とマミーと過ごせてよかったゎー
いつも勤務で、旦那となんて
花火デートまともにしたの初だし
いい思い出だわぁ
今年のお年取りは弟新居かなぁ…
来年の花火はシルバーホテルとかいいかもねー
やってみたかったやすらぎ堤以外のスポットまわり
旦那とやろーかなぁ
花火は見やすくなり
観客も多くなりましたね

私も成長して(笑)
ひとりで場所取りできるようになり
毎年恒例になりました(されました渹)
親戚だけでなく母のやっていたお店
「雪ん洞」のお客様達も一緒に見るようになりました
賑やかだったなぁ

19歳の時に神輿を担ぐようになり
それからも毎年、神輿終わりでダッシュ

15時のやすらぎ堤解放に合わせて
必死になって頑張ってましたねぇ淲
我が家がやすらぎ堤直ぐにある
リバーサイドのマンション(笑)なので
トイレには困らなかったね

お客様達もみんなトイレは我が家(笑)
それから母も店を止め
私達のマンションの真ん前で花火があがらなくなって
家族みんな、なんだか新潟まつりに冷めてしまった
うちのベランダからチラ見するくらいにね

アキレス腱切った時に家族で見に行ったのが家族単位は最後
三年前に母と母友達、私と私の友達これが本当最後
やすらぎ堤に行かなくなったわ
そんなこの頃だったけど
我が家も様変わりし
弟が和合町辺りに新築中
母も同居することになってるし
もうマンションで集まる事もないかなぁ…
マミーは「りょーこ
これが最後だわぁ
」ってそーだね
マンションはまだ売らないけど、
みんなの生活が変わり
住む場所が新潟島ではなくなる
淋しいけどねー仕方ないんだよねー
私も中心街じゃない場所に家建ててるしねぇー
最後に旦那とマミーと過ごせてよかったゎー
いつも勤務で、旦那となんて
花火デートまともにしたの初だし
いい思い出だわぁ

今年のお年取りは弟新居かなぁ…
来年の花火はシルバーホテルとかいいかもねー

やってみたかったやすらぎ堤以外のスポットまわり
旦那とやろーかなぁ







