五木ひろし・中村美律子の説明・紹介

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章炳麟は支那學の大家で、滿洲、朝鮮排撃の急先鋒として、つとに光復會を起した人であります。呉稚暉だの蔡元培だのといふ、さうさうたる人物がその門下から出てゐます。呉、蔡兩氏は無政府主義的理想家としてともに支那青年層に多大の感化力を持つに至りました。これ等の人々の先輩である章炳麟は當時『民報』の主筆として故國の革命を鼓吹してゐましたが、その『民報』が告發せられて東京地方裁判所の法廷に被告として立つことになりました。わたしはそれに辯護士を紹介してあげた關係から、付添人の格で法廷に出席しました。黄興や宋教仁や汪兆銘もそのとき一しよに行きました。法廷が開かれると一人の辯護士が章氏は精神異常者であるから精神鑑定をしてもらひたいと申請したので、わたしはその辯護士(それはわたしの紹介した人ではなかつた)に抗議し、章氏は偉大な學者であり、その性格や素行に常軌を逸するところがあつても、決して精神異常者ではない、いまの申請はとりさげて下さい、といふとその人はその申請をとり下げると同時に退廷してしまひました。怒つたのです。法廷が終つて、黄興、宋教仁、章炳麟とわたしと、四人で日比谷公園の松本亭で午餐をともにした時、黄興は言ひました。
「章さんは少々精神異常者というてもよろしい、辯護士さん氣の毒なこといたしました」
 さすがに黄さんは人間が大きいなと思ひました。この裁判事件は、わたしが巣鴨監獄を出て間もない時分のことであつたと思ひます。