では、自分も非公開でフォローすればいいのでは?
とい私自身の疑問について。
フォロワー数を非表示にする話をすると、往々にし挙がるのが、というか
自分自身の中での疑問として、
フォロー自体も非公開にすればいいのでは?
ということだ。
一見もっともらしいが、実際にはこの二つは目的が異なる。
まず、フォロワー数を隠す理由は、数字による期待や義務感を減らすため。
フォローバック欲しさの人を避けたり、関係性が数字に左右されるのを、
ゆるやかにするのが、主な目的である。
一方で、フォローを非公開にする設定は、
自分が誰のものを読んでいるか、という行動そのものを不可視化する仕組みになる。
これは、フォロワー数の非表示よりも一段踏み込んだ「行動の秘匿」にあたる。
しかし、私自身はそこまで隠す必要性を感じていない。
フォローは義務の発生源ではなく、あくまで、
読みたいものを整理するためのリスト
として使っている。
その意図が明確である限り、公開していても実質的な不利益はない。
むしろ、フォローまで非公開にしてしまうと、
関係性まで陰に隠してしまうような過剰な閉じ方になり、
負担だけを減らして透明性は保つ、という本来の目的からは外れてしまう。
結局のところ、
必要以上に隠すのではなく、必要な部分だけを調整する。
こういった事が、心理的にも実務的にも最も合理的な形だと考えている。
遊びの場でまでも、ストレスは感じたくないのだ。