僕は家族に愛されて幸せに育ってきました
それでもある時家族がすれ違い
バラバラになっていった時期がありました
それは当時の
まだ心が育っていなかった僕にとっては
親に捨てられたような苦しみでした
家族は絶対的に常に味方で
無償の愛を与え続けてくれる存在と思っていた僕は
深い絶望と悲しみを体験しました
それからある程度の時間を要して母とは少しずつ信頼関係を取り戻しました
ですが父との関係を構築するのにはもっともっとたくさんの時間が必要でした
僕は思春期に入り
母親から父親に愛着形成をしなおそうとしていた途中だったのだと思います
そんな時に父が傍にいなくなりました
男性というものを理解しきってはいない時期だったのでしょう
そして家族は女家族でした
その事が引き起こした問題もありました
ゲイやオカマといったものではありません
男性とのコミュニケーション能力に今でも多少欠如したものを感じます
それでもそれまでにも父や祖父に愛されてきたり
他にも男性性の人は傍にいたので多少はカバーできました
しかし男親というものの背中を見て育てなかったことは心にしこりを残しました
一番父親に頼りたかったときにも父は傍にいなかった
そんな悲しさや寂しさはいつしか怒りに変わりました
怒りに変わるまでにはそんなに時間はかかりませんでした
いつしか父を憎んでいたと思います
愛していたから余計に許せませんでした
それでも父と向き合う時が来ました
それは些細なきっかけ
自分の趣味の為でした
父に頼る気もなく
ただ一応父親だから承諾だけはと思い話をする事になりました
それでも心のどこかで父との関係を元に戻したかったのだと思います
僕はその話し合いで自分の趣味としてのものを認めさせる為の交渉で
卑怯にも相手の痛い所を突く事で自分を優位にしようとしました
僕は父が自分の傍にいなかったことで捨てられたと感じたこと
それが原因で苦しかった事を責めました
あなたは僕が一番辛い時にどこで何をしてましたか
僕がそんな事になっていることも知らなかったでしょう
と父の心など考えたこともありませんでした
あなたは父親としてなにをしたと
しかも父は若い頃にバイクで片足を失い義足で生活をしてきました
それが原因で僕は父とサッカーやキャッチボールをしたくてもできませんでした
それは仕方のない事とわかっていたのにその事まで責めました
自分がバイクに乗りたいということの為に
父が足を無くした原因であるバイクに乗るために
父はその僕の言葉を少し寂しそうに
悲しそうに
苦しそうに聞いていました
そして
自分もその間にとても苦しかったこと
僕を捨てた訳でも家族を捨てた訳でもないこと
そして傍にいたいと思っているというようなことを話していました
その言葉を聞いて僕は涙を流していました
その時初めて父親も人間だということを知ったような気がします
幼い頃は休日にはよく遊びに連れていってもらいました
家族で出かけたりもたくさんしていました
父は家族ででかけられるように本当はスポーツカーのような車が好きなのにワゴンに乗っていました
僕は小さい頃は父も大好きでした
それなのにほんの小さなすれ違いから僕は父を憎みました
そして父を責めました
父が一番苦しむ言葉を選んで
自分の楽しみの為に
いや
本当は復讐しようと思っていたのかもしれません
僕はその時の父の顔が今でも忘れられません
あんなに悲しそうな
苦しそうな
寂しそうな
自分を責めるような
あんなに辛い表情は初めて見たのです
お互いに愛していたのに
僕は父にいつかは謝らなくてはいけないと思っています
できるならそれは父がいつか自分を本当に見つめ
帰ってこられた時に
僕はあもう一度ちゃんと父と向き合い
謝ろうと思います