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春樹が言った通り、彼の友だちはいなかった。まだ空いている車両。彼の隣りは空席だし、いずれにせよ何かしら声をかけなければならない。そう。「友だち」だからだ。
「おはようございます」
平静を装ったつもりだ。だが自分の顔の表面温度がどれほどのものなのかは検討がつかない。だが、声だけは裏返っていなかった。努力したんだから。
彼は、顔を上げると、ああ、という風に私に微笑みかけた。
綺麗な人。
直感的にそう感じた。なんて綺麗なんだろう。カッコイイという言葉を通り越して彼は「綺麗」だ。ほんと、見とれてしまう。
「おはようございます」
そう彼はまた微笑んで、それから、
「座って下さい」
と自分の隣りの席を私に勧めた。私は、失礼します、と小声で言い、彼の隣りに座る。でも落ち着くはずもなく、私が緊張したときに出るという背筋を伸ばして手はきちんと膝の上に置いて姿勢良くするクセを出す。電車の中で、この姿勢はかなり不格好なはず。
「姿勢、良いんですね」
でも彼がそんなことを言ってくれるものだから不格好でもなんでもいっかーなんて思ってしまう。私は照れ笑いをしてから、俯く。
会話……会話がない。
えーっと……何て言えば良いの? うーん……あ! そうだ! 名前! 彼の名前を聞くんだった! 始めて話しかけた金曜日、彼の友だちは彼のことを『ミイ』って呼んでた。多分彼の名字はミイ……三井だと思う。でも私が知りたいのは彼の下の名前。
「お……お名前はなんて仰るんですか?」
あー! しまった! 他人の名前を聞く前に自分の名前を名乗るのは人間の最低常識。それを私はよくも、まあ。自分でも呆れるほど私はバカだ。今からでも名乗ってしまおう。なーんて後先考えずに私は口走ってしまうから彼の言葉と私の言葉が被ってしまうのだ。
「わ、私の名前はー……」
「俺はー……」
同時だった。
もう……最悪。恥じ……人生最大の恥じだ。私はゆでタコみたいに真っ赤になってまた俯いてしまう。彼もきっと呆れてる。涙が出て来そう。
「ぷっ……」
そう思ってたのに、彼が笑うものだから私は涙が溜まった目で彼を見た。彼は笑いが抑えきれないと言うように、口に手を当てて必死に笑いを堪えている。私は間抜け面で彼を見た。もう、何て言ったら良いのかなー……。
「おっかしっ。ははっ、おもしろいね、ははっ、えーっとっ、名前は……? あ、そうだ。普通俺からだよね、ごめん。俺は三井智夜です。三井は、漢数字の三に井戸の井。智夜は、えーっと……何て言うんですかね? トモが、上が知るで下が日、んで、ヤは夜です。変わってるでしょ? 変な親なんですよ」
今度は違う意味で彼が涙を浮かべる番だった。それでも口に手を当てる「三井さん」は上品だった。
……なんだ、結構親しみ易いかも。
「あ、すみません。えっと、藤原桜です。桜は花の桜って漢字をそのまま使います」
「そっか。宜しくね」
お友だち……普通に話している友だちのような感覚だ。
微笑む三井さんの顔はさわやかで、私はそのさわやかさに照らされて……私の顔はとんでもなく赤くなっていたと思う。

6時38分、岳北鉄道が吉嶺駅に到着。ここからJRに乗り換える。JRの駅の名前も岳北鉄道、同様、吉嶺駅で、岳北鉄道の吉嶺駅とJRの吉嶺駅は階段を繋いでいる。その階段を一歩、一歩踏みしめながら歩いて行く私とは逆に春樹は一段飛ばしで階段を駆け上がって行った。そんなことしいたらパンツが見えるのが気にならないのか? と気にするところだが、JRの吉嶺駅に行く足取りが重くてそんな余裕はなかった。
電車の彼に会えることはとてつもなく嬉しい。それに、顔見知りにもなって会話もできるというのだから。毎日憧れ続けて見ていた彼の頭の片隅に私がインプットされたはずなのだから、嬉しいはずがない。でも、何を話せばいいのか。土日の間、散々考えた。真希ちゃんに言おうかと迷ったが、やはり自分の問題。自分で解決したかった。
「どうしよう……」
ため息混じりにそう呟くと、春樹はまだ階段の半分までしか上っていない私の手を掴み、引きずるようにして、階段を上って行く。
「そんな弱気でどうすんだよ。今の状況より、金曜に話しかけたときの方がよっぽど、すげえと思うけど」
「だよね……」
そうなんだけど……。どうすれば良いのだろう。お友だちになって下さいと言ったのは私。私が話題を持ちかけなければいけない。
こんなに憂鬱になるのは、変かもしれない。
JRの吉嶺駅のホームに到着し、いつもの場所に春樹と立つ。彼と一緒に学校へ行っている彼の友だちは、私たちと同じ吉嶺駅から乗車するのだが、いつも時間ギリギリになって来る。彼の友だちはどういう反応をするのだろう。春樹の言うように車両をずらすのだろうか?
「じゃあな、桜」
「えっ?!」
弾かれたように春樹を見た。春樹はふっと視線を逸らすと、ぼそりと言った。
「うじうじすんなよ。らしくねえ」
「……うん」
再び春樹は私と目を合わせて、ニカッと形よく綺麗に並んだ白い歯を私に見せた。
「大丈夫! 絶対に。あたしがついてるから」
「ありがと」
私も笑い返した。春樹は、じゃあ、と言って私から離れて行った。




