「ルッキズム」という言葉がある
最近は特によく聞く
僕は個人的にこの言葉が嫌いだ
容姿に恵まれていないから
自分でもよくわかっている
自分の体感では、容姿のことを言われるようになったのは12,3歳くらいの頃だったと思う
中学生ゆえに口汚い言葉を言われた
同性にも言われたし、異性にも
高校生になっても言われたし大学生の頃にも言われた
社会人になっても2年目3年目くらいは頻繁に容姿のことを言われた
それでもこの数年は世の中の流れのようなものもあり、ほとんど言われることはなくなった
今日久しぶりに日中、知人と飲みに行った
7人なんて人数で飲むのも打ち上げとかそういうものでなければ久しぶり
こんなことをいうのは申し訳ないが正直なところ気が進まない飲み会ではあった
それでも参加したのは、友人や知人に誘われた飲み会や集まりには参加して、自分という人間を変えようと30歳になったときに思ったから
数年ぶりに会う知人、自分が生きていれば確実に関係を持たないであろういわゆるパリピみたいな人たち
数年前、当時やっていたバンドのスタッフの人たちである
付き合いがそれなりにあるから30分遅れで到着した僕を、明るく出迎えてくれた
ただ自分としては、苦手なタイプの空気がながれていて苦しかった
この集まりがなかなか容姿が優れた男女の集まりで、そんな中に容姿がひときわ悪い人間が来る
初対面の人もいたもんだから、明らかに雰囲気が変わった感じがした
飲み始めて2時間くらい経って、結婚してるか聞かれた
してない旨を答えると、「だろうね(笑)」的な反応
そこからこの数年間されてこなかった容姿いじりが始まる
顔が良くて彼女がいない人間と比較をされて顔が悪いんだから喋りでなんとかしないととか、その顔でホワイトカラーの仕事してるとかありえないでしょとか
彼らが普段飲みに行く人種とはまったく違う人種
面白いおもちゃをみつけたみたいな感覚があったと思う
それでも笑顔で話をしなければいけない
ただただ辛かった
夕方頃、二次会に行く流れが出たタイミングで帰宅の旨を伝える
駅前で煙草を吸いながら、親の顔が思い浮かんで申し訳ないような気持ちになった
孤独は辛い、だから人と飲みに行く、だから人と接することができる仕事をして、人と楽しく飲みたい
世の中には容姿をいじられて面白おかしく会話をできる人もいる
そういう人は強いと思うし、人としての出来が違うからうらやましいと思う
いじる側は悪気もないし場を盛り上げるためにやってくれていることも理解はしているつもり
だけれども傷つく人のほうが多いということはわかってほしい
自分が社会に出てから世の中はさまざまな規制をするようになった
正直、息苦しいと思うし、もう少しおおらかに生きようよ、みたいに思う
そんな中、容姿いじりはやめよう的な風潮は助かっている
それでもずっと容姿をいじられて、笑っていなきゃいけない、それによって悔しい思いや苦しい思いをする
容姿を理由に人から愛してもらえない、そのことがただ悲しいのです