私の家族は猫好きが多く、滋賀県に越してからの45年の間に15匹の猫を飼ってきた。しかし、私に本当になついてくれたのはただの一匹の雄猫だけである。1990年代の終わりの頃、その猫は我が家にやってきた。娘が前の公園の近くで拾った捨て猫だった。白っぽい猫で身体の左右に黒毛の丸い模様が三つあったので、「コタマ」と名付けた。現在居る4匹の猫は全て家の中で飼っていて、外に出すことはないが、その頃は飼っている猫の数が1匹か2匹と少なかったせいもあって、時々は戸外へ出ることを許していた。ただコタマには苦手な野良猫がいた。我が家の猫が余り戸外に出ないので、野良猫たちが大きな顔をして、談義をし、勝手に決めたのであろうか、我が家の敷地は一匹の大きな野良猫のテリトリーになっていた。この野良猫はいつ見ても冴えない、困ったような表情をしていたので、私達は「困ったちゃん」と呼んでいた。コタマが成猫になっても、「困ったちゃん」はコタマの一回りも二回りも大きい体格をしていた。コタマが庭に出ようものなら、どこからか「困ったちゃん」が顔を出し、威嚇した。威嚇の声に気付いた家族が玄関の戸を開けた瞬間に、コタマは脱兎の勢いで家の中に飛び込んでくるのが常だった。コタマは外出すると、庭先よりも我が家の前にある里山で遊ぶのが好きなようだった。時には夜遅くまで、里山で遊んでいるようだった。私は駅からは歩いて帰宅するのが常だった。家の近くまで来ると、里山の方から、かさかさと落ち葉を踏むような低い音が聞こえてくる。隣家との境界に近いところを黒い影が跳ぶように駆けていく。私が玄関扉の前に立つと、私のズボンに体を擦りつけるように、コタマが居る。私の足音を聴き分けていたようだった。

 冬、遅い夕食を摂った私は書斎に入る。パソコンをつけ、机上に書物を広げる。しばらくすると、書斎の扉をひっかくような小さな音がする。コタマだ。扉を開ける。部屋に入るや否や、彼は机上に跳びのって、邪魔をしようとするように本の上に横になり、大きく伸びをする。私はお腹や背中を片手で撫でてやる。時にゴロゴロと喉を鳴らしながら、ひとしきり私が撫でるに任せている。やがて、得心がいったのか、身体を起こし、書棚に飛び上がる。暖房器具をつけると、書棚の上が部屋で最も暖かいと知っている。そうして、私が作業をしている間、気持ちよさそうに寝そべっている。作業を終えると、私は彼に作業が終わった合図に声をかける。書棚から跳び降りた彼は私と一緒に部屋を出る。

 寝室で着替えが終わるころ、扉をひっかくようなかすかな音がする。コタマだ。冬だと布団の中、足元に潜りこんで来る。それ以外の季節では布団の上で、朝、私が眼を覚ますまで、大人しく眠っている。

 コタマが8歳になった頃、発病し、入院することになった。しばらく経った日曜日、動物病院に見舞いに行った。彼に傷口をなめさせないためだろう、首にカラーをつけられていた。医師は「順調にいけば、退院は近いですよ。」と言った。別れ際、妻は「もうしばらくしたら、迎えに来るからね。」と言った。彼は、別れを惜しむように、また、連れて帰って欲しそうに、悲しげに何度も鳴いた。退院の予定日の2、3日前、動物病院から突然に電話があった。コタマの急死を告げられた。

 私は彼の写真を多く撮っていた。一週間もしないうちに、1000枚を超える中から選び出した360枚ほどの写真をプリントし、「コタマの思い出」とタイトルをつけ、アルバムを作った。妻は「我が子の写真の整理をしたこともないのに、速いね。」と皮肉を言った。

 

写真1.我が家に来て、間もない頃。   撮影 19990819.

写真2.里山で。   撮影 20000812.

写真3.潜るのが大好き、新聞紙の中。  撮影 20000914.

写真4.独特の寝姿。  撮影 20011228.

写真5.机上のコタマ。  撮影 20040731.

写真6.シャクナゲ(園芸品種‘ネリアーブ’)とコタマ。   

撮影 20050426.