ドレニシヨウカナカミサマノイウトオリ。 | 作家 吉井春樹 366の手紙。

ドレニシヨウカナカミサマノイウトオリ。



なにがしたいのか、なにがいいのか、

なにがなにやらわけわからないとき、

「どれにしようかな神様のいうとおり」

って誰かが決めてくれたらどんなにか

気が楽だろうに、と思うかもしれません。


だけど、神様のいうとおりに選んだら

それはそれで後悔の念にかられたりする。

神様のいうとおりにしたらいいのか、

自分の思い通りにしたらいいのかって、

また、どれにしようかな状態がはじまる。


選びたいキモチも、選びたくないキモチも

同じように平等にあるわけですから、

どちらを選んでも同じはずなのに、

選んだ途端に選ばなかった方を擁護しちゃう。


ないものばかりをほしがるまえに

いまあるものをたいせつにしよう。


言葉では、頭ではわかっていても、

ないものがほしくなるのは人のサガです。

ほしがってしまうことを、ひらきなおって、

慈しんであげちゃうことができたら、いいなと。











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