Twitterのリツイートか何かで、「人はいつ、何が起こって人生を終えるかわからない」と目にして、そこからぐるぐると、決して賢くもない頭で考えたこと。
たとえば、私が今突然死んだとしたら。
いま隣にいる姉は、きっとパニックを起こすだろう。まず両親に連絡して、救急車を呼んで。でも私は死んでいるわけなので、きっとその場でご臨終だと告げられる。
御葬式はしてくれるだろうか。
正直、私の家庭は裕福ではない。
火葬や御葬式の費用は馬鹿にならないわけなので、面倒をかけてしまうなと思うと、やっぱり死にたくはない。
しかし、仮に、という話である。
親戚の叔父や叔母、会社には連絡はいくだろうが、仲良くしていた友人たちはどうだろう。
私しか連絡先をしらない高校時代の友人とか。きっと、風の噂的な何かで伝わっていくんだと思う。
悲しんでくれる人はいるだろうか。
仲良くしていた人たちは、涙を流してくれるだろうか。いてくれたとしたら、少なからず私は、その人にとっては「死んでほしくなかった人」になるわけなので、少し嬉しいような気がする。
何の感情もなかった人ならば、その人とはその程度の関係だったわけなので、少し悲しいような気もする。
ふと、ここであることに気づく。
Twitterで仲良くしているフォロワーさんたちなんかは、私の死を知ることはない。
最近見かけないな、というだけで、そのまま私のことを忘れてしまうのだろう。
そして、私が想いを寄せている彼も、私の死を知ることはない。
連絡がとれなくなって、それで終わりなのだ。
ここまで考えてみて、やはり突然死んだりはしたくないと思った。
まだ、やり残したことがある。
まだ、伝えていない気持ちがある。
親孝行もできていない。
税理士になる夢も叶わぬまま。
まだまだ友人たちと遊びたいし、
いろんな国に行く約束もした。
片思いの彼に、想いを伝えていない。
きっと未練たらたらで、わたしは死んでゆく。未練がありすぎて、幽霊になるかもしれない。(除霊などをされることは避けたい)
後悔を残したまま、死んでもいいだなんて思う人は少ないだろう。
だから、後悔しないように、毎日を精一杯生きなさい、とよく言うのだろう。
ありふれた毎日が、
実はとても大切な毎日なのだ。
そう思ったら、少しだけ、勇気が出た気がした。
