この惨事には不思議な力を感じるのは僕だけでしょうか?
    そして、何かのメッセージのように思えてしまっています。

    皆さんもご存じの通り、十字架いばらの冠ピエタ像は、あの炎の中でも無事でした。

    キリスト教徒はもちろん、全世界の人々へのメッセージに思えます。

    イエス・キリストは、何故、磔にされてしまうことになったのか。
    イエス・キリストは、どのような思いを胸に、処刑場に向かったのか。
    聖母マリアは、どのような思いで、処刑場へ向かうご子息様を見送ったのか。
    聖母マリアは、どのような思いで、息子の亡骸を胸に抱いたのか。

    もう一度、あるべき心を戻しなさい。ていうメッセージに思えます。

    ノートルダム大聖堂の復旧に向けて、たった一日ちょっとで、約1000億円もの寄付が世界中から集まりました。
    人間はいざというときには結束できる。
〝支援の輪〟と呼ばれるこの結束は、世界中の人々の〝結束の輪〟と言えるものですよね。
    この支援にはイギリスやドイツも協力的のようで、イギリスEU離脱問題で荒れている情勢の今後に、何かしらの良い流れを与えるきっかけになりそうな気がしています。イギリスに対して、フランスはこれまでに厳しい対応をしていましたが、この支援がフランスにゆとりを与えていくような……。

    ですが、もし本当に天界というものが存在しているのなら、その寄付金は、復旧に使うべきではないように感じています。

    イエス・キリストは、次のようなことをおっしゃったようです。(カトリック)

    規律(十戒)を一つも破ることなく生きてきた裕福なユダヤ人が、「わたしは天国に行けますか?」と、昇天前のイエスに訊いた。
    イエスはその者に言う。
「あなたは、貧しく苦しんでいる者を救うためならば、富を捨てることができますか?」
「いいえ」
   そのユダヤ人が答えると、イエスはきっぱりこう言ったそうです。
「あなたは、天国には行けません」

    
    天界というものが存在しているのなら、〝支援の輪〟と呼ばれている約1000億円も寄付金をノートルダム大聖堂という建造物の復旧のためだけに使うことは、きっと望んではいないように感じてしまいます。
   一つの建物を守るためよりも、多くの人々を救えるものにしてほしいと望んでいるのではないでしょうか。

    十字架に込められていた本来の意味を、もう一度取り戻してほしい。
    イエスと聖母マリアは、この世界に何を望んでいるのかを、もう一度理解してほしい。
    教会という見た目だけのものではなく、十字架という心の部分と、もう一度向かい合ってほしい。
 〝支援の輪〟で人間は結束できる。その結束を、もっと広い世界にまで視野を広げてほしい。

    そのようなメッセージを伝えているのではないでしょうか。

    荒れに荒れている現世界情勢に、〝支援の輪〟という形で、平和への道のりを表してくれました。あとほんの少し、人間に足らないものがあることを教えてくれているのではないでしょうか。


    ひどい勘違いかもしれませんが、何となく感じたものを語らせていただきました。

    
       
「追伸」
   僕はどこの宗教にも属していません。記事の内容からして、キリスト教徒?と思ったかもしれませんが、僕は無神論側の人間です。だからと言って、神や天界という存在を否定する側の人間でもありません。
    すべてに可能性を感じていたいと、そう思っているだけの人間です。