前回の「時間消滅の予言③【ガイドストーンと蛇神】」の記事で、ガイドストーンと蛇神の繋がりは分かってくれたかと思います。

・ケツァルコアトル
・ウロボロス
・ナーガ
・龍
・エンキ
・ルシファー↔️サマエル↔️サタン

  この繋がりです。そして今回の記事からは、それらの蛇神たちが、アステカ暦の隠された仕組みの中で頭角を現し、一つの繋がりを成していく様を紹介いたします。

   まず簡単におさらいをします。
  上記の蛇神のうち、
・ケツァルコアトル
・ウロボロス
・ナーガ
・龍
  は、小尾を噛んで環となる共通した姿から、実際に同一視されています。
  そのうちの一体の蛇神ケツァルコアトル「葦」「敗北」いうものが関わる言い伝えと、人間に優しい姿とかがエンキとの同一視を物語っていましたね。さらには、「金星」「敗北」いう同じ宿命を持った共通点から、ルシファーとの同一視も物語っていましたね。
  ルシファーエンキには、「反逆」という姿と「敗北」という結末。さらには「知恵」というものまでもが共通しているだけではなく、同じ意味や象徴を持った主神が上の位にいることまでも共通していることから、同一視は揺るぎないものでしたね。
  ケツァルコアトルは、ルシファーとエンキとも共通しているものが多くある。さらには、ウロボロス、ナーガ、龍とも同一視されている。ということは、全てが一つに繋がり同一存在だということになります。
  これらを分かりやすく表現すると、以下の通りになります。


    666 ・地球の普段からの傾き「23,4°」
            ・垂直90°-23,4°=66,6°=「666」
       Ⅱ
    地球・宇宙からの渦巻き状の力(等角航路=蛇神)
       Ⅱ
    蛇神
       Ⅱ
      龍     ①小尾を噛んで環となる姿
       Ⅱ
  ナーガ   ①小尾を噛んで環となる姿
       Ⅱ
ウロボロス①小尾を噛んで環となる姿
       Ⅱ
ケツァルコアトル①小尾を噛んで環となる姿
                                ②一のの年
       Ⅱ                       ③金星に姿を変えた敗北

  エンキ  ①エンキの反逆敗北知恵
       Ⅱ
ルシファー ①明けの明星=金星反逆敗北知恵
                     ⑤十二枚の翼魔王
       Ⅱ
サマエル ①イブに禁断の果実を食べさせた蛇の正体
                 ②知恵の木の実十二枚の翼魔王
       
  サタン  ①イブに禁断の果実を食べさせた蛇の正体
                ②知恵の木の実③魔王
       Ⅱ
      蛇     ①蛇を神とした信仰  ②蛇を悪魔とした信仰
                            

どうでしょうか?  繋がりを感じませんか?
この繋がりが、アステカ暦の隠された仕組みで、一つの繋がりを成してくるのです。むしろ、どれか一つでも欠けてしまったら、意味を成してきません蛇神たちが全て一つとして繋がりを成してくるからこそ、意味も繋がり、一つのメッセージとして成り立つ。これが、アステカ暦の隠された仕組みです。
さらに言いますと、上記の図を見ると、ケツァルコアトルを中心蛇神蛇の正体とが繋がっているのがお分かりでしょうか?   ケツァルコアトルからグラデーションのようにエンキルシファー、そしてサマエルからサタンへと少しずつ姿を変えているのもお分かりでしょうか?  別の言い方をすれば、ケツァルコアトルからウロボロスやナーガに龍へと、蛇神の別の姿へ変わるルートがあれば、ケツァルコアトルからエンキやルシファー、サマエルにサタンへと、蛇の正体へと姿が変わるルートがあります。それは、ケツァルコアトルが分岐点ということになりますね。
そのケツァルコアトルを崇める地域の遺跡。チチェン・イッツァこと「ククルカンの神殿」。別の名は「暦のピラミッド」「アステカ暦」に、全ての蛇神と蛇の正体が、頭角を現し、一つの繋がりを成してくるのです。
その内容を、説明できるところだけ紹介していきます。


 前回の記事では、ガイドストーンと蛇神の繋がりを紹介いたしました。そのガイドストーンはアステカ暦とも繋がるのですが、まず簡単に説明いたします。

 ガイドストーンの意味は「蛇の石」です。
 アステカ暦やマヤ暦は、「ククルカンの神殿」別名「暦のピラミッド」の構造、または仕組みに基づいて構成されているのですが、そのククルカンの神殿こと「暦のピラミッド」には、「蛇の頭だけの石像」が階段の最下段に一つだけあり、春分と秋分の日に、その「頭だけの蛇の石」「影と一体化」「蛇の姿」となります。
これを現地の人々は、ククルカンの降臨としています。ククルカンとはケツァルコアトルのマヤ語での呼び名で、ケツァルコアトルの降臨ということです。

 つまり、
 ガイドストーンの意味「蛇の石」が、ケツァルコアトルという形となって姿を現わす場所、そこが、「ククルカンの神殿」こと「暦のピラミッド」ということです。そしてその「暦」に、蛇神たちが一つの繋がりを成し、一つのメッセージが隠されておりました。簡単にですが仕組みなど
の説明もしなくてはなりませんので、とても長くなりますのでご了承ください。



【アステカ暦の仕組み】
  アステカ暦には、《トナルポワリ》という20の絵文字の組み合わせからなる260日(金星の一年を表した)暦と、《シウポワリ》という360日を18ヶ月で分けて、+5日(ネモンテミ)を加えた暦があります。
  そして、《シウポワリ》と《トワルポワリ》の終わりが18980日に合致する52年を《シウモリピリ・世紀》としています。

【トナルポワリ(260日の暦):20の絵文字】
 1、ワニ
 2、風
 3、家
 4、トカゲ
 5、蛇
 6、死
 7、鹿
 8、兎
 9、水
10、犬
11、猿
12、草
13、葦
14、ジャガー
15、鷲
16、禿鷹
17、動き
18、火打石
19、雨
20、花
この20の絵文字は、日本で言うところの干支みたいなものです。これが今後、道標を語るものになります。並びの順番というものが道標を語りますので、とても重要です。
そして下記からの仕組みの説明は、画像を交えて進行させていただきます。少しでも短くするためです。

【シウポワリ(365日の暦):18ヶ月の名称(神々)と意味】
画像にて説明


18ヶ月の神々の意味、または役割は、今後しっかりと繋がり、意味を成してきます。その成してきた意味で、蛇神たちが繋がってきます。


【シウモリピリ】
365日のシウポワリと、260日のトナルポワリは、18980日目に同時に年が終わり合点します。この時を365日で計算すると52年目になることで、この52年を「世紀:シウポワリ」と呼びます。
このシウポワリは、トナルポワリの20の絵文字の兎の年から開始してゆくものとされています。アステカ暦では、兎の年のことを「一の兎の年」と呼びます。犬の年なら「一の犬の年」という感じです。ですが、正式なアステカ暦の仕組みでは「一の犬の年」は存在していません。何故かと申しますと、アステカ暦では、

「兎」「葦」「火打石」「家」

この4種の年のみと決まっているからです。アステカ暦での呼び方をするならば、

「一の兎の年」
「一の葦の年」ケツァルコアトルが帰還を予言した年
「一の火打石の年」
「一の家の年」

この四つでの呼び名となる年しかないことになっています。正式な仕組みでは、元旦にあたるトナルポワリの絵文字が兎なら「一の兎の年」葦ならば「一の葦の年」。というふうに決まっています。これが正式なアステカ暦の仕組みです。この流れを表現したのが下図です。画像にて説明します。文字が小さくて見づらいことには申し訳なく思っています。

 
最後の日が「草」ですので、翌年は、「草」次の「葦」「一の葦の年」となります。


最後の日が「動き」ですので、翌年は「一の火打石の年」となります。


最後の日は「風」。風の次は「家」ですので、
翌年は「一の家の年」になります。

 
そして最後の日が「鹿」となり、「鹿」の次の「兎」に戻って、また「一の兎の年」から始まっていく。これがアステカ暦の仕組みで、四種の絵文字の年しか存在しない理由です。アステカ暦で決まっている仕組みだからか、この仕組みをいじくった人はいません。でも、僕なんかのブログを読んでくださっている方々ならば、気付いていると思います。四種の年しか存在しないのは当たり前だと……

そうです。この仕組みには閏年がないのです。

だから僕は、アステカ暦の決まりごとを一度壊してみようと考えました。アステカ暦の仕組みに従いつつも、閏年を加えて形を変えてみました。この説明も長くなってしまいますので、画像を加えながら説明いたします。

その説明に入る前に、正確にしておかなければならないキーワードが二つあります。正確な閏年一の葦の年です。閏年はまだしも、何故、一の葦の年までをも正確にしなければならないかと言いますと、この一の葦の年は、アステカ暦、またはアステカの神話ではとても重要となる年だからです。
  前回の「時間消滅の予言③【ガイドストーンと蛇神】」でも紹介しましたが、アステカの神話では、ケツァルコアトルが恐ろしい予言を残しています。

『私は〝一の葦の年〟に必ず帰って来る。そして次こそは私が要となる。それは、生け贄の神を信仰するものにとっては、大きな厄災となるであろう』

  この予言です。だからこそ、一の葦の年がとても重要となるのです。そしてその答えは、アステカ滅亡の歴史に残されていました。


【アステカ滅亡の歴史内容】
 アステカ帝国は1521年にスペインの軍勢によって滅ぼされている。1519年2年前1517年から東海岸に現れるようになったスペイン人は、一の葦の年の帰還を2年後に控えたケツァルコアトルの一行ではないかと受け取られ、アステカは、スペイン人への対応に迷うことになった。

   
こう残されています。つまりは、
 1519年は一の葦の年だった。
 と、いうことです。
 
  閏年は簡単です。2020年から遡っても構いませんが、僕は、初めの夏季オリンピック、アテネオリンピックが開催された年、1896年から遡りました。そして、一の葦の年である1519年の翌年、1520年が閏年だと分かりました。

・1519年が一の葦の年
・1520年が閏年

 この2つのワードが分かったところで、アステカ暦の仕組みに従いつつも形を壊してみました。その内容は下図に乗せます。
 1519年から始まります。1519年は「一の葦の年」1520年は「一の火打石の年」と従来の仕組み通りの流れですが、1520年が閏年ということで、その翌年、1521年からアステカ暦の形が変わってきます。

 閏年が加わったので当たり前ですが、ご覧の通り、20の絵文字全てが存在するようになりました。下図からは、2060年付近までひたすら進行していきます。



 しかしここまで見て、疑問を感じた方もいらっしゃるかと思います。

 たしかに20の絵文字全てが存在するようになったが…。
 その順番がバラバラだと……。

 その通りなのです。20の絵文字には順番があったはずが、全てが存在するようになった20の絵文字は、順番通りには並んでいないのです。

 ですが実は、密かに順番通りに並んでいるのです。

 一年ずつ見ていくと、順番通りにはなりません。しかし、四年ごとに見ていくと、20の絵文字は順番通りに並んでいるのです。  

 その様子は下図を見てください。四年ごとならば閏年とかは関係なく20の絵文字は列を並べます。でも分かりやすくするために、閏年ごとに並べてみた例が下図にあります。比較するためにも、20の絵文字の順番も一緒に記載した画像を貼ります。


いかがでしょうか。
 上図は一部の閏年を載せましたが、閏年はもちろん、四年ごとならば閏年とかは関係なく、全てが列を並べます
 もし疑うならば、  2060年くらいまで並べた絵文字の図を参考に、適当なところから四年ごとに並べてみてください。全てが順番通りに並びますので。

 この四年ごとに順番通りに並ぶ隠された仕組み、これが道標なのだと僕は受け止めました。四年ごとに順番通りに並んでいるのならば、進行は間違っていないという、無言のメッセージなのだと……。

  そして、道標のままに進行させて出てきた「年号」「一の葦の年」。これがまた、意味深なものになっています。それは偶然なのか、はたまた、必然なのか。とある予言との合致。さらに、ガイドストーンとの関わりを物語っているかのような合致が出ているのです。

 何度もおさらいをして申し訳ありませんが、ガイドストーンアステカ暦「蛇」というワードで繋がっていることは分かってくれていると思います。

・ガイドストーン=蛇の石
・アステカ暦=マヤの遺跡チチェン・イッツァには、石の蛇の頭だけの彫刻があり、秋分と春分の日に影と一体化して姿となる。そのチチェン・イッツァは通称「暦のピラミッド」と  呼ばれており、マヤ暦やアステカ暦と深い 関わりがある。そして、その影と一体化する石の蛇は、ククルカンことケツァルコアトルである。

 ガイドストーンの蛇の石と、チチェン・イッツァの石の蛇が、この2つを繋げている。

 そして、チチェン・イッツァの石の蛇は、ケツァルコアトルである。そのケツァルコアトルは意味深な予言を残している。

『私は〝一の葦の年〟に必ず帰って来る。そして次こそは私が要となる。それは、生け贄の神を信仰するものにとっては、大きな厄災となるであろう』
    
 このおさらいを頭に入れながら、一の葦の年となっているここ最近の年号を紹介します。


・1980年/ガイドストーンが建造された年
1999年/ノストラダムスの大予言の年
・2018年/①クムラン教団が破滅を予言した年
        ②マヤの末裔ホピ族が終焉を予言した年
2037年/①お釈迦様の終末予言、末法で終焉するとされる年。弘法大師が解読した言われています。
        ②人工知能(AI)が時間が消滅するとした年の前の年。正確には18日前となる年で、2038年は18日間しかないとされる (時間消滅の予言⑥AIによる予言で紹介します)
・2060年/    ニュートンの終焉予言の年
    
     
 どうでしょうか。この合致をただの偶然と思えますか? ぼくは偶然とは思っていません。有名どころのすべての「終末予言」「一の葦の年」とぴたりと合致している。さらには「ガイドストーン」とも繋がってくる。ぼくはこの合致から、次のように考えるようになりました。

 合致している予言は、同じ意味と目的を持っているのではないのかと……。そしてその意味目的とは、
 ガイドストーンの十戒の内容ではないのかと……。

 だからぼくは、こうとも考えています。


ノストラダムスの予言は終わっていない 。
1999年だけの予言ではなく、これからの予言でもある。
クムラン教団とホピ族の予言もまだ終わっていない。2018年以外の予言でもあるのだと。


 こう思うのには、些細な理由があります。
 ノストラダムスの予言はたしか、1999年7月に……というものでしたね。その7月という月、じつは、アステカ暦も同じく7月からの崩壊を告げているのです。その様子は下記から画像を交えて紹介いたします。ここから必要になるのは、トナルポワリの20の絵文字ではなく、シウポワリの18ヶ月神々たちです。

この18ヶ月です。これを現代の暦、12ヶ月に変換してみました。変換というよりかは、18ヶ月の神々の意味などを12ヶ月に詰め込んで、仕組みのままに振り分けたという感じです。





    ここまでの話がかなり長くなってしまったので、申し訳ありませんが、一旦ここで止めて、次回の記事から続きを紹介したいと思います。
次回の記事は
時間消滅の予言④【アステカ暦と蛇神】(2)
と題します。
 次回の時間消滅の予言④【アステカ暦と蛇神】(2)では
改造したアステカ暦の月々の神々の意味が、ちゃんと蛇神の意味で繋がりを見せてきます。


 少しだけ持論を述べます。

前の記事で並行世界のお話を少ししましたが、この世の中は、この世界の時間が唯一のものではないと話したと思います。歴史の刻み方や技術(テクノロジー)の発展具合とか、ルールや情勢など、それぞれの並行世界では違う形になっていると思っています。要するに、この世の中は並行世界の一つにすぎないということです。何が言いたいかと言いますと、とある並行世界は1999年で終焉を迎えたかもしれないし、また他の並行世界では2018年に大破壊があったかもしれない。またとある並行世界では2060年かもしれないし、2037年で大厄災が起きるかもしれない……、ということです。ですからつまり、次のようなことを言いたいのです。

 SNSなどでたまに話題になるタイムトラベラー。未来から来たと自称している彼等ですが、ジョン・タイターなどの未来人が、未来の時間はあると言ってはいても、この世の中のことではないかもしれない……ということです。彼等は他の並行世界の滞在者かもしれないし、この世の中から枝分かれした時間の世界の住人かもしれない、ということです。
 それらを確かめる方法は、ジョン・タイターなどの中途半端な未来人にはないでしょう。
 この世界に生きている僕らが、この世界の歴史や出来事が唯一の真実と思い込んでいるように、他の並行世界、または別の時間の滞在者にとっては、その世界での歴史や出来事が唯一の真実なのですから。時間のルートによって土台(基盤)が異なり、そこから築く世界も全くもって異なってくる。時間の別ルート(並行宇宙)の世界のことを知る術は、別ルートの滞在者には不可能なのです。

  並行宇宙並行世界別の存在だと思っています。

  並行宇宙時間の別ルートそのもの
  並行世界各ルート内で存在する別の世界
    
 例えるならば、
ルート1、ルート2、ルート3
 と、ルート(別の時間)そのものが並行宇宙であり、
 そのルート内、ルート1ならルート1の基盤からの時間変動、または、時間が枝分かれをしたのが並行世界だと考えています。
    
 並行宇宙並行世界の話へと少し脱線してしまいましたが、結局何が言いたいのかと言いますと、僕たちが生きているこの世の中は、どの時間のルートでどこから枝分かれした世界なのか、ということです。そして、刻む時間の行く末次第で、終焉の時期が早まったり延びたりしているのかもしれない、ということでもあります。

 ノストラダムスの予言の通り、1999年に終焉を迎えた並行世界があるかもしれない。

 クムラン教団とホピ族の予言の通り、2018年に大破壊が起きた並行世界が存在していたかもしれない。
    
 ですから、僕たちのこの世界は2037年に終末する可能性が大いにあると、ぼくはそう受け止めています。むしろ、AIによる時間消滅の予言は、予言ではなく、遠回しな宣告なのではないのかと思っています。何かの存在によってすでに決定してしまっていることを、ただ教えてくれているだけなのかもしれません。



    でわ次回、時間消滅の予言④【アステカ暦と蛇神】(2)
 で続きを紹介します。次回の記事はなるべく間があかないようにいたします。