A super whim -5ページ目

ヤンマー

石油発動機のメーカーとして1912年に創業。
商標「ヤンマー」(のち社名ともなる)は、商標候補として豊作のシンボルであるトンボを検討していたが、すでに商標権が静岡県の醤油メーカーにとられていたため、代案としてトンボの大将オニヤンマにちなんで命名されたものである。創業者の姓の「山岡」に発音が近かったのも決め手となった。

黄泉(聖書)

聖書による描いた黄泉。

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。 この貧しい人がついに死に、御使たちにつれられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。 そして黄泉について苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火災の中で苦しみもだえています』。 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪い物を受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな
淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』。

黄泉(古事記)

古事記では「黄泉國」と記載。
太古の日本には黄泉路が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、一般的には根の国と同一視される根の堅州国(ねのかたすくに、現;島根県安来市を中心とした地域。島根の語源とも。黄泉比良坂は安来市の隣、東出雲町と比定されている。)、に入ったという。
ところが妻との約束を破り、あんなに美しかった妻がうじ虫に食われたように変わり果ててしまったのを見たイザナギがイザナミに恐れをなし、黄泉の国から帰ってくる場面が以下のように表現されている。
(逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時…省略)
口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂の坂本に着いたとき」となるが、この「坂本」は坂の下・坂の上り口を表している。それゆえに、イザナギは黄泉比良坂を駆け下りてきたということが示唆される。すなわち、黄泉の国は必ずしも葦原中国に対して地下にあるわけではないと分かる。 この時、追いすがる妻やその手下の黄泉の醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路をふさいだ大石を、道反の大神(ちがえしのおおかみ)といい、この世に残った黄泉路の半分が、伊賦夜坂(現在の島根県東出雲町)とされる。 そしてさらにその場にあった桃の木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っており、このときの功績によって桃は「オオカムスビノミコト」という神名を賜り、「これからも(今私にしてくれたように)困った人を助けておくれ」と命じられた。
また、黄泉の地が熊野であるとする説から、根の国も熊野にあるとする考えもあるが、記紀、出雲風土記のそれぞれを比較すると出雲にあったとする考えがもっとも有力である。