◎無声の麗人
岡田時彦。
三十にして肺結核に倒れた夭折の麗優である。出演作はすべて無声映画であった。彼の美貌の上に渦を巻くかに見える、喪われた声に対する謎がはじめわたしを引き付けた。それからしばらく彼の出演作を渉猟したが、すぐにその源泉は尽きた。それは七作ばかりしかなかったが、これら消滅の一歩寸前でかたちをとどめたらしい、くすんだ琥珀いろの万花鏡をわたしは飽かずながめた。
島津保次郎の『愛よ人類と共にあれ』は、彼の希少な現存作のひとつである。
(i) 岡田時彦
〈補遺ハ〉現存作について
「日本映画データベース」によると、岡田時彦の出演作は全部で七十四作あり(http://www.jmdb.ne.jp/person/p0049380.htm)、そのうち現段階で鑑賞し得る作品は(わたしの知り得る限り)左記の七作である(フィルムに紛失箇所がある物のみ、現存上映時間数を書いている。上映時間はすべてトーキー回転である)。
『続水戸黄門』(1928・現存約16分)※『水戸黄門漫遊記』の題で『名作映画サイレント劇場』に収録されている。
『その夜の妻』(1930)
『若者よなぜ泣くか』(1930・未ソフト化)
『淑女と髯』(1931)
『愛よ人類と共にあれ 前後篇』(1931・前後編あわせて現存約181分・未ソフト化)
『東京の合唱』(1931)
『滝の白糸』(1933・現存約99分)※三つの現存フィルムを突き合わせて製作した最長版(参考:『映画探偵』高槻真樹著)
※『建国史 尊王攘夷』(1927・現存約100分)に三條大納言実万役でクレジットされているが、現存部に彼の姿は確認できなかった。
わたしと無声映画とのなれそめは時彦のスチール写真であった。小津安二郎の初期に撮影された滑稽な小品『淑女と髯』のそれに写った、彼のベラ・ルゴシ的(というより吸血鬼的)容貌が醸し出す高貴な血の匂いに魅せられたためであった。思えばその名前も、はじめのうちは、どことなく怪奇じみたものを私に抱かせた。名付け親は谷崎潤一郎であった。岡田時彦がその名を得たのは、彼が映画に出始めた大正九年から十三年(1920-1924)ごろと思われる。クレジットに岡田名義で記録され始めたのは、六作目の『懐かしき母』(1924)からであった。その同じ年に谷崎は『痴人の愛』を発表している。
だが、実際の時彦はまったく血や怪奇とは無縁の芝居をやっていた。小津安二郎の映画に何度も主演をした。それは一方で、都会のビルディングや庶民的な一軒家に登場する高潔の血筋を思わせないでもなかったが、その役柄はごく身近の青年や父や会社員であった。しかしそれでも尚、彼のその市民的な身分はかりそめのそれに思われるふしがないではなかった。というのも、彼の現存作が、一作を除いて、松竹蒲田移籍以降の作品しか残されていないからだ。これは彼の役柄のイメージに大きな影響を与えている。七作中五作が松竹のもので、そのうち三作を小津が占めている。彼が我々に対し市民を気取るのも無理はない。しかしそれ以前の闇のなかで、異形の血のしぶきを上げていないという保証はどこにもない。
その闇の奥へ目を向けるとき、もう一人の時彦がそこに立って手をふっているのを感じるのである。
(ii) 左より、鈴木傳明、岡田時彦、高田稔
時彦の気品あふれるマスクは、その役柄からはるか数万光年はなれた地下牢で名も知れず果てた高貴の末裔をおもわせた。人を寄せ付けない詩人の眼差しは、貴族の血で模られた精巧な短剣であるらしかった。
貴族的な容貌とサラリーマン生活とのスクリーン上における奇妙な同居は、人々に実生活への儚い夢を抱かせたかに見えた。うつくしさとはかけはなれた自分たちの生活が、スクリーンの上で、一人の美男俳優によって演じられる瞞着は、瞞着故に陶酔に似た幻覚を観客に齎した筈であった。自分たちは決してこうはなれないという虚しい諦めは煙草のけむりのようにとぐろを巻いて、しかしそのけむりによってのみ、銀幕の人々はかろうじてスクリーン上に生き永らえるのであった。
我々が銀幕のスターに惹かれる理由はそこにある。時彦の演じるプチブルに不思議と生々しさがあったのは、その美貌に反して、宿疾の肺結核からその死まで自由になれなかった己の実生活における敗残が、知らず知らずにスクリーンに落とした、歌謡レコードの針のかなしみの為ではなかったか。そこに当時の観客たちは、自分たちと同じ匂いを嗅ぎとったのではなかったか。思い返せば、私がスクリーンで出会った時彦は、いつも、夢にやぶれすべてを諦めたもののように肩を落とし、しかしスクリーン越しに我々を見つめる眼差しだけは、どこまでもやさしく潤んでいたのだ。
〈補遺イ〉上映時間について
本作は、トーキー回転の上映で三時間に及ぶ作品である。
トーキー回転とは一秒間で24コマ進む回転速度のことである。トーキー、つまり映画が音楽と肉声を手に入れてから今日まで、映画は同速度で撮影され、映写されている。
一方サイレントの時代は回転数が統一されておらず、その時々によって変動したが、概ね16-18コマ/秒で撮影・映写されていた。
柳下美恵さんによると(『愛よ人類と共にあれ』を鑑賞した際に、伴奏でピアノを演奏されていたのが柳下さんであった)、二〇一〇年のイタリアのポルデノーネ無声映画祭において、先立ってこの特集が組まれた際には18コマのオリジナルの速度で上映されたという。サイレント回転だと、この作品は四時間超になる(241分)。
◎あなたのトーキーカードを下さい
(タイトルが了わると、船のシーンから映画ははじまる。アメリカからの長い船旅。母国の地を前にデッキに凭れパイプを銜える時彦のクロース・アップ。髯。カモメと海のざわめき。青に染まりほとばしる汽笛。万国旗。錨の軋音。……ピアノ伴奏につれて彼の肉声が、聞こえるはずもない海の模造品たちの犇めきとともに、耳に蘇ってくるみたいだった。彼の肉声は存在しないのではなかったか。あの船の幻惑がわたしを騙したのか、他ならぬ時彦が船にのって海の向こうから帰ってくるという、出来すぎた筋書きのために。無音のスクリーンの、海のようなしずけさにひっそり息づくピアノの音色が、この世から消え去ったものの匂いや手ざわりをわたしへ髣髴させた)……
〈補遺ロ〉トーキーカードについて
わたしは前の文でひとつ嘘を書いていた。岡田時彦の声である。その玉音の記録されているらしい当てを、実は一つ知っていたのだ。肉声がこの世に残っていないというロマンをかき立てるため、敢えてここまで伏せておいたのである。
それはトーキーカードである。映画のワンシーンや俳優のスチールを印刷した葉書の上に、レコードの按配で溝を掘って一分ほどの音声を記録したカードがかつて売られていた(参考:http://blog.livedoor.jp/kokusaiyuko/archives/8081300.html)。小津安二郎生誕百周年を迎えた二〇〇三年に、彼のカードを復元する企画がNHKで持ち上がり、時彦の娘である岡田茉莉子の立会いの下に、それは日の目を見た。娘は古希にしてはじめて父の声を聴いた。
(iii) 『その夜の妻』