西村雄一郎のブログ

シェロー演出の「指環」が表紙になった「バイロイト音楽祭」(音楽之友社)

            

オペラ界の大革命は、1976年の夏にやって来た。場所は、西ドイツのバイロイト音楽祭において。その年は、ワーグナーがバイロイト劇場のこけら落としに、最大のオペラ「ニーベルングの指環」4部作をお披露目してから、100年目に当たっていた。


戦後のバイロイト音楽祭は、ワグナーの孫ヴィーラントとウォルフグガング兄弟が演出を交代で担当。特に〝ヴィーラント様式〟といわれる前者は、暗い照明の中で、歌手たちが動きを極力少なくして、能のような象徴劇を演じていた。そこに新しい血を入れようと、フランス勢に公演が託されたのだ。指揮はピエール・ブーレーズ、彼に推薦された演出家が、パトリス・シェローだった。


シェロー演出は、観客の度肝を抜いた。例えば、第一部に当たる「ラインの黄金」は、巨大な発電所ダムのブリッジの上をラインの乙女ならぬ売春婦が走り回る。神々はネクタイをした資本家のように見え、ポリ袋の黄金を運ぶ小人たちの国は、ごみ収集人がストをやっている住宅地そのものに変貌した。


つまりシェロー演出は、それまでの神話的、抽象的な解釈を捨て、作品のもつ童話的、風刺的、社会的批判を誰の眼にも分るように、具体的に提示して見せたのだ。おかげで賛否両論。どの作品でも終幕のブーイングは異常に激しく、観客の殴り合いが起り、警官が出動する騒ぎにまで発展した。


この歴史的な公演に、筆者は立ち会っている。最後の「神々の黄昏」の途中で、「冗談じゃない。俺は神様の話を見に来たんだ!」と、怒って出て行ったドイツ人を、この目で目撃している。1976年のバイロイトは、確かに燃えていた。


しかし、シェロー演出は5年間続き、公演を重ねるたびに洗練され、高い評価を得た。事実、世界のオペラ界には、現代人が演じる「スター・ウォーズ」のような宇宙風、サイケ風演出が続々と登場。良くも悪くも、反自然主義的傾向は現在も続いている。


そのルーツを創った時代の寵児パトリス・シェローが、10月7日、肺がんのために死去した。


彼は演劇だけでなく、映画界での活躍も大きかった。美男子だったために、「ダントン」(83年)や「ラスト・オブ・モヒカン」(92年)には役者として出演。映画監督としては「蘭の肉体」(75年)で、デビューを飾った。「インティマシー/親密」(01年)ではベルリン映画祭金熊賞、「ソン・フレール/兄との約束」(03年)では銀熊賞を受賞している。


しかし、私にとっての最高のシェロー映画は「王妃マルゴ」(94年)だった。歴史に名高い1572年の「聖バーソロミューの大虐殺」。その事件を引き起こしたカトリーヌ・ド・メディシス(ヴィルナ・リージ)と、娘マルグリット(イザベル・アジャーニ)の葛藤を、妖しい美しさと残酷さで描いた。シェローは現代劇より、時代劇の様式の方が合っていたように思える。


享年68。彼は若い時の方が大胆で新鮮だった。その意味では、〝生き急ぎ〟した天才だったのかもしれない。