西村雄一郎のブログ 筆者がアメリカから取り寄せた「黒澤明の映画」の原書


アメリカの映画評論家ドナルド・リチーが2月19日に、東京都文京区の病院で死去した。終戦直後にGHQの一員として来日し、いち早く日本映画の紹介に貢献した人物である。享年88。2月27日の佐賀新聞「有明抄」で、(善)氏が、リチーに影響受けた者として、小生のことを紹介している。その補足説明をしておこう。


私が学生だった1960年代の後半は、全共闘世代による学生運動の真っ只中だった。人気の映画作家は、大島渚やジャン=リュック・ゴダールなどの戦闘的で政治的な監督。黒澤明は、権威的、体制的、家父長的と批判され、黒澤を好きだと表明することは、かなりの勇気を必要とする時代だった。


当時、黒澤明を単独で論評した本は、たった1冊しかなかった。それを読んでみたら、私が大好きな「天国と地獄」(63年)は、「ブルジョワと官憲が協力して異常者を退治している話」と書かれていたので仰天した。これではいけない。


私は自分の信じる映画評論を書こうと思い、早稲田大学演劇科の卒論に〝黒澤明〟を選び、テーマを〝音〟に定めた。その時、担当教授の山本喜久男先生から、「それならリチーの〝フィルム・オブ・アキラ・クロサワ〟を読みなさい」と勧められた(山本先生は、後にリチーの「小津安二郎の美学」を翻訳する)。


その本は79年に「黒澤明の映画」というタイトルで出版されるが、当時はまだ翻訳文がなかった。私はアメリカから原書を取り寄せ、辞書を片手に読みふけった。驚いたのはその評論の手法だった。つまり映画をイデオロギー(思想)やドラマツルギー(演劇論)で論じるのが流行りであった当時、撮影、編集、効果音といった縦割りの構成で、黒澤映画を技術的に論評していたのである。


特に驚嘆したのは、黒澤映画のシナリオの構造を、音楽のソナタ形式に見立てていたことだった。「まずテーマを示す前奏があり、ブリッジがあり、第一主題の再現部に発展し、ラストのコーダに至る」と指摘していた。後で分かるのだが、リチーは舞台音楽などを作曲するほど、音楽に精通していた。


私は自分の卒論に、こうした論法を随所に取り入れ、映画を一切ストーリーで語らないという制約を架した。卒論は完成し、16年後に、「黒澤明 音と映像」という本に仕立て直し、江湖に問うことになる。


1970年代、黒澤を評価するか否かは、映画隆盛の分岐点だった。つまりスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラらの〝黒澤チルドレン〟は、日本でクロサワが否定されていた時代に、彼の卓越した映画技法を学び、己れの映画に取り入れ、ハリウッドの黄金時代を再来させた。それに比べ、日本映画の質は皮相になって、レベルはどんどんと落ちた。


それは、映画を支える映画評論の在り方が影響していたのかもしれない。映画を抽象的な観念ではなく、具体的な機能として語る。その先鞭を切ったのが、ドナルド・リチーだった。