西村雄一郎のブログ

2001年9月、古湯を訪れた新藤一家。右から新藤兼人監督、孫の風さん、息子の次郎氏。(筆者撮影)


2001年5月、渋谷の「シネマライズ」で、新藤兼人監督作品の連続上映が行われた。吉村実子、佐藤慶、林光、林隆三、小林桂樹…。日替わりで、新藤映画のスタッフ、キャストがゲストとして参加する。そのトークの相手役を私が務めた。新藤監督ご自身は、2度も壇上に上がった。


最終日には、打ち上げのパーティーがあった。新藤監督ともだいぶん顔見知りになれたので、私は監督に「佐賀県の古湯映画祭に、今年来てくれませんか?」と誘った。「場所は山の中の秘湯です」と説明した。「どんなテーマでやるのか?」と聞かれたので、「〝新藤兼人の遺言状〟ではどうでしょう?」と答えた。もちろん、監督の3番目の妻・乙羽信子の遺作となったヒット作「午後の遺言状」(95年)にちなんで付けたテーマだ。監督は「面白い」とぶすりと言った。


もう一つ、私には公算があった。新藤監督には、風(かぜ)ちゃんという自慢のお孫さんがいる。名付け親は新藤監督で、皆は「フウちゃん、フウちゃん」と呼んでいた。彼女は、日本映画学校で私の生徒だった。学校にはあまり、来ていなかったようだが、卒業制作に「LOVE/JUICE」(00年)という作品を作った。「この作品も上映しましょう」と私は言った。殺し文句である。


さらに、風ちゃんの父・次郎さんは、新藤監督の独立プロダクション「近代映画協会」の社長であり、プロデューサーでもある。「息子さんも加わって、親子三代で、シンポジウムをしましょうよ」。こんな企画は、日本全国どんな所でもまだやったことがない。


新藤監督は、この案に乗ってくれた。そして、同年9月に、古湯に来てくれた。映画祭は超満員。会場に入りきれず、2階の映写室から、監督たちと一緒に新藤映画6本を見た。この時の回想記を、監督は後に「ひとり歩きの朝」というエッセイ本のなかで、『森の町の映画祭』というタイトルで語っている。


「わたしは、スクリーンのすぐ前までつめかけている人たちを見て感動した。映画の斜陽化がいわれたりしているとき、山の奥の森の町で、映画が生き生きと生きているのだ」


シンポジウムでは、会場から質問が飛ぶ。それに対しては、「わたしの作品の選択は西村雄一郎がやってくれたので、現地を訪れてはじめてそれを知ったのだが、『ある映画監督の生涯』(75年)が選ばれたことがよかったと思ったし、森の中の映画祭で、そういう質問をうけたのもしあわせであった」とも記している。


映画の合間に、「風ちゃんが陶器を見に行きたいそうですが、監督も行きますか?」と聞くと、「僕も行くよ」と言って、マイクロバスに同乗した。印象的だったのは、階段の所で必ず風ちゃんが監督の手を取り、数字をつぶやいていることだった。何だろう?と思ったら、「監督は目が悪いので、後何段というのを知らせている」そうだ。監督も、こんないいお孫さんがいるなら、幸せだろう。新藤一家にとっても、この佐賀への旅は、忘れられない思い出になったようだ。