西村雄一郎のブログ

2000年9月古湯映画祭、左端が黒木和雄監督、左から3人目が原田芳雄



原田芳雄さんが19日、死去した。現在公開中の「大鹿村騒動記」(11年)の舞台挨拶のために、車椅子で登場した姿をテレビで見た時は、愕然とした。あえて芳雄さんと言うが、あんな痩せた姿の芳雄さんは初めて見た。短期間での急激な痩せ方は、大腸ガンを抗ガン剤で治療したからではないかと思った。 

  

  私の目に浮かぶ芳雄さんは、いつもたくましい、〝頼りになるお兄さん〟だった。若い映画作家の作品には、積極的に参加した。映画が好きで、それを上映してくれる映画祭が大好きで、酒を飲んでは、歌を歌って馬鹿騒ぎをする。しかしそれが許せるお茶目な人だった。

 

  古湯映画祭には、第7回(1990年)と第17回(2000年)に参加してくれた。後者のパンフレットを読めば、「古湯映画祭といえば、はるか彼方、記憶の断片をかき集め、かつての大馬鹿騒ぎ。思い起こせば、まあよくあれに懲りずに招いていただけたものと、つくづくその寛容さに痛み入っております」と自分で反省記を記している。


原田芳雄といえば、何といっても故・黒木和雄監督との共作が名コンビといわれ、10作を数える。古湯での主な上映も、黒木作品だった。なかでも「竜馬暗殺」(74年)は、彼の代表作だ。福原雅治の〝柔〟の龍馬とは違った、豪快な〝剛〟の竜馬像を確立し、当時の大学紛争における〝内ゲバ〟の危ない雰囲気もよく表している。芳雄さんに憧れて、彼の一挙手一投足を真似た、デビュー仕立ての松田優作が、ちょい役で出演している。

 

  「祭りの準備」(75年)は、脚本家志望の主人公を、江藤潤が演じる。土佐中村の街を家出同然で出て、東京に向かうのだ。駅でばったり出会ったのが、人を殺した幼馴染役の芳雄さん。心優しき殺人者は、自分の立場を忘れ、友人の新しい旅立ちを祝福し、「バンザイ、バンザイ!」と手を上げて見送る。この名ラスト・シーンは、芳雄さんの名演なしには成り立たなかった。

 

  「原子力戦争」(78年)は、田原総一朗のノンフィクション・ノベルが原作。今は廃墟となった福島第1原発に芳雄さんが乗り込んで、係員に取り押さえられる様子が、一発勝負のドキュメンタリーでとらえられ、迫力がある。原発問題で揺れる現代だからこそ見直したい異色作だ。

 

  若松孝二監督とも名作を残している。「寝盗られ宗介」(92年)は、つかこうへいの戯曲が原作。どさ回り一座の座長をユーモラスに演じ、尻軽女房の藤谷美和子との間で、絶妙のコンビを見せた。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(07年)では、全体を見つめる、クールなナレーションを担当している。

 

  芳雄兄い! 数々の名作を残してくれて、ありがとう。今頃は天国の黒木和雄監督と、一献傾けているのかも知れない。